少し味気ない言い方になってしまうかもしれませんが、私たちの毎日は次の三つの要素によって成り立っています。
一つ目は、ここにこの自分が存在しているということ。二つ目は何かしらが起き続けているということ。
そして三つ目は、この自分と起きていることの関係として、体験というものがあるということですね。
自分の存在と自分が何かしらを体験し続けているということは、切っても切れないものです。
上で書いた事柄は、誰にとっても至極当たり前のこととして受け入れてもらえると思うのですが、禅はそこにメスを入れたのです。
何よりも重要である自分という存在が、実は幻だというのですからとんでもない話しであり、すぐには信じることが難しいのですが…。
とは言えその結果、残るは二つ目の何かしらが起き続けているということと、三つ目の体験があるということになるのです。
自分という存在がないのだから体験もなくなると感じるかもしれませんが、体験は無くなることはありません。
むしろ、二つ目の何かしらが起きているということの中に体験がただ含まれるようになるだけです。
ということは、最終的には何かしらが起き続けるということだけが残ることになるのですが、実は最初から忘れていた最も大切な要素が一つあるのです。
それを忘れてはならないのですが、それは何かしらが起き続けているのをずっと見守るものがあるということです。
それこそが私たちの本質である意識です。その結果、起きる事象とそれを見守る意識があるというのが、本当に知る必要があることなんですね。