子供の頃、何になりたいかを聞かれる事が度々あって、その度にどう答えればいいのか分からなくて、困った記憶があります。
終いには、何で聞くの?という恨めしい気持ちになったこともありましたね。何度聞かれても明確な答えがなかったのですから。
もっとストレートに言えば、何にもなりたくない、というのが本音だったのかも知れません。何かにならなければいけない、という事に抵抗があったとも言えます。
周囲の言葉にそそのかされずにいられたその頃の自分が、今となっては愛しいなと思ってしまいます。結果何にもなっていないのですから。
もっと言えば私の自我は覚醒したいと思っているのです。「覚醒=自我の消滅」という事も知っているのに、それでも覚醒したい。
それは何かに成ることの真逆なので、子供の頃と変わっていないということです。勿論当時は覚醒という意味など知りませんでしたが。
これは自我としては絶望的です。自我であるのに、自我の消滅を求めているのですから、シンプルに絶望していたということです。
自分の本質に意識を向ければ、それが何でもないものだという感覚になれるので、それだけでもいいのですが、やっぱり自我は欲深いですね。