osho の言葉に次のようなものがあります。
『私はあなた方に、分割されていない―<全体(whole)>の感覚を与えようとしているのだ。科学は片割れだ。哲学も片割れだ。どうしたらいい? どうやってあなたにその<全体>の感覚を与えよう?』
ここで言う<全体>というのは、このブログで度々出てくる全体性のことを言っているのです。
osho でも困っているくらいなので、全体性を感じられるようになるための具体的な方法などないのかもしれませんね。
けれども、私なりに感じているものをここに書いてみようと思います。まずは、意識と思考の区別がはっきり分かっていると有利かもしれません。
全体性というのは、意識のことだと思ってもらってもいいくらいだからです。そのため、思考に飲み込まれている状態では、きっと全体性を感じることはできないはずです。
一方で、積極的にそれを感じようとするのであれば、空を眺めることをイメージしてみてください。
空と言っても空全体ではなく、青空の部分です。つまり、雲を見るのではなく雲の隙間に見えるあの青空です。
というのも、雲はある物体であるので、対象物として捉えてしまうのですが、全体性というのは特定の何かではありません。
だからこそ、あれとかこれということのできない青空を眺めること。青空は対象にはなり得ないので、それがヒントになるかもしれません。
部屋の中であれば、部屋の空間を見ようとすることです。肉眼というのはあれやこれを見るようにできているので、何でもない空間を見ることができません。
けれども、それを承知の上でただ自分の周りに広がっている空間を眺めようとすることです。全体性とはその感覚に近いはずです。
というのも、全体性もあれでもこれでもなく、もちろん肉眼で見ることのできないものだからです。
あともう一つ、これはどこにいてもできるのですが、自分の周囲に広がっているこの現象界の背後にある、表現出来ないナニカに意識を向けるのです。
あるいは眼は開いていながら、ただ何物も見ずにいる練習をするといいかもしれません。気に入った方法があれば、ぜひ試してみてくださいね。