私たちの本質は身体などではないということを、情報として、また知識として知っているという人は珍しくはないでしょう。
特に、スピリチュアルを標榜する人たちにとっては、そんなことは当たり前だということになっていると思います。
けれども、そのことに真に目覚めてしまった人は少ないのではないでしょうか?知識として知っていることと、それを体現することとは月とスッポンほどの違いがあります。
その証拠に、自分の今日1日の出来事を思い返した時に、記憶に残っているのは自分の身体が活躍している場面ばかりではないでしょうか?
だとするなら、身体との同一化は全く消えてはいなかったということです。もしも身体との同一化が取れたらどうなるのか?
少なくとも、身体にまつわる痛みや苦しみというものから解放されるでしょうね。もちろん、それがなくなるというのではなく、それがただあるという状態になるのでしょう。
肉体的な病気もなくなるわけではないですが、当事者意識からは解放されるので真の救いがやってくるはずですね。
ではなぜ、私たちにとって身体との同一化が外れることは難しいことなのか?それはきっと、自我の存続が関わっているからなのです。
自我の正体は、思考の集まりなので実態がありません。だから、必ず何かとの同一化を保っていなければ、もたないということです。
だからこそ、身体との同一化はなくならないのです。万が一同一化が外れた暁には、自我も解体されて自然に覚醒することになるのでしょうね。