誰もがより幸せになりたいと願っているのですが、その幸せが一体どういうものなのかは案外ピンボケだったりしているのです。
もっと焦点を当てて、より詳細に精度を上げてその幸せの中身を見てみることです。そうすると、もしかしたら思っていたほどでもないかもとなるかも知れません。
つまりぼんやりとこうなったら幸せに違いないと、その幸せの輪郭を見ているだけでは気づけないことに気づくことになるのです。
突き詰めて自分が追い求めている幸せを真っ向から見定めてみた時、意外とそんな満ち足りた状態でもないかも?となるのです。
これが怖いので、多くの人はそこをぼやかしたままでいるのです。けれども、そうした気づきはとても大事なものです。
その気づきがあれば、そこそこの絶望感はくるものの、いつまでも不可能な期待値を夢見るバカバカしい生き方を止めることができます。
そして誤解を恐れずに言えば、幸せを求める生き方から離れていくことになるのです。幸せという概念を使わなくなるのです。
幸不幸から離れて、特別な自分になろうとすることからも遠のいて、日々を淡々と生きるようになるということです。
そして毎日のもっと何気ないことに注意が向くようになるのです。真夏の地獄のように暑い日に、サルスベリの花が元気に開いている姿を見て嬉しくなったり。
我々日本人の本来の感性である、自動詞の世界。花が咲くというのは、花は自然に、ひとりでに咲くと言っているのです。そこに何らかの原因があるとは見ないのです。
このひとりでに物事は起きるのだという感覚を思い出して、人生そのものを見直してみるのもいいのかなと思いますね。