この宇宙全体を神が創ったとしたら、その宇宙の一部である私たちも神によって創られたということになります。
それなのに、自分という存在は不完全だとするのは、その自分を創った神も不完全だとするのと同じで、神を否定することになりますね。
自分を不完全だと思い込むことはできますが、できるのはそこまでであって、それは真実ではないと見抜くことです。
そもそも不完全なものを完全なものにすることは不可能なことです。ところが、自我はそれが可能だと信じているのです。
目的を達成したら完全になる、期待通りの自分になれたら完全になる、そう思い込んでいるのですから、次から次へと挑戦が続くのです。
自我にとって完全さは未来にのみあるのです。今はまだダメだけど…というわけです。その未来は決してやってきません。
完全さは今この瞬間にしかあり得ません。本来は終着するところがないので、挫折することも失敗することもないのです。
あなたがたどり着くところがどこであれ、そこがあなたの到着地となるということです。これさえ掴めば、ずっと深い安心の中にいられるのですね。