幼い子供は、どうして?どうして?を連発する時期がありますね。最初のうちは可愛いのですが、度が過ぎると面倒になってしまうのです。
あれは我々人間が持つ好奇心が発動しているのでしょうね。だからそれは決して悪いことではないのです。
私は、大人になってもそういう面が残っていて、催眠療法のクラスなどでよく質問をしていました。講師の方にとってはやや煩わしい感じがしたかもしれません。
疑問を持つというのは、健康な自我にとっては当然のことだと思っているのですが、こと真実に近づこうとする場合には、ちょっと話が変わってくるのです。
なぜなら、疑問を解明したいという欲望は自我のものであり、疑問の中にいれば自我がそれだけ強くなってしまうのです。
ビッグバンで宇宙ができたのなら、それ以前はどうなっていたのか?など疑問を持てばそれが連鎖して新たな疑問が無限にやってきます。
自我にとってはそれがとても魅力的に感じるのですが、そういった欲に引っ張れることなく、ただこの瞬間に在ることができれば、自然と真実は見えてくるのです。
真実を解明しようとすればするほど、自我の存在が邪魔になってしまうというトリックに気づく必要があるのです。
この世界で好奇心を持って生きることと、内側に入って疑問のないただ在る状態でいることを両立できるようにしたいものですね。