内側と外側の話 その2

昨日のブログで、内側の世界と外側の世界を明確に分けること、ごっちゃにしてしまうと内も外も台無しになってしまうということを書きました。

その一つの例として書くのですが、例えば幼い頃にずっと寂しくて寂しくて仕方がない生活を送ってきたとします。

内側の寂しさを内側のこととして、それをしっかり味わうことができたら理想なのですが、幼い頃にそんなことができるはずもありません。

大抵の場合、寂しさを外側の何かで誤魔化してしまおうとするのです。ゲームをし続けるとか、スポーツに熱中する、勉学に励む等々。

いずれにしても、外側の何かに没頭することで内側の寂しさを感じないようにして生きるわけです。

そのまま大人になると、今度は仕事を頼みの綱として毎日打ち込むことで、寂しさを忘れてしまうことができるのです。

そんな人生をずっと続けてきて、あるときに何かの都合で仕事をやめてしまったなら、それまでずっと奥に隠してきた内側の寂しさが出てきてしまうのです。

きっとそれは本人にとってはとても辛いことになるはずです。もう外側の何かでは誤魔化すことができなくなってしまったので、直面するしか道はないのです。

それができなければ、自ら人生を終えることを考えるかもしれません。いついかなる時からでも本当は遅いということはないのです。

内側と外側を混同してきたことに気づいて、内側のことは内側の世界だけで完結するように自分との向き合い方を工夫することが必要なのです。

独りでは無理であれば、プロの力を借りるということを積極的に考えることもありだと思いますね。