今から12年ほど前に、あることをきっかけとして自分はいないということの気づきがやってきたことがありました。
実際には純粋な気づきというよりも、もっと実践的なある実験によってそれを認めざるを得ないという経験をしたのです。
それ以来、個人としての自分、もしくは自我(エゴ)は実在しないということが、生きることの根っことして組み込まれたのです。
ただし、それは自我としての自分にとってはやはり大変強烈な体験だったので、実在しないということを認めながらも、とは言ってもねえ…というのも同時にあったのです。
もっとシンプルに言えば、自分はいないという事実に100%舵を切ったわけではないという状態で生きてきたのです。
ところが、自我の正体とは、左脳のニューロンによる神経ネットワークの働きとして在る、ということが分かってしまったら、そりゃもう自我はイメージでしょうとなったのです。
自分とは、実在している何かではなく、脳の細胞たちの複雑な働きによってあたかも存在しているかのように感じることができるだけ。
映写機で自分の像をスクリーンに写していたとして、そこにはあたかも自分がいるように見えるのですが、映写機の電源をオフにした瞬間、自分(の像)は消えてしまうことに似ています。
実態がないというのは、残念ながらそういうことです。何らかの理由で、左脳の働きが停止した瞬間、自我は消えてしまうのです。
私たち自我の存在とは、そんな脆いものだということを知っておくのは、決して無駄なことではないと思いますね。