体験より体験者に意識を向ける

「体験されることは全てみな幻なのだと覚えていればいい…」これは osho がよく云う言葉です。にわかには、何を言っているのか分からないですね。

例えば、目の前のテーブルの上にリンゴがあるとします。それを目で見て、それをリンゴがあると認識することが体験と言えそうです。

ただ見ただけで、それをリンゴだと認識できなければ、そこにはリンゴに関連したどんな体験もありません。

実際に、私たちの脳の中では、リンゴを見ることとそれを認識することとは、全く異なる働きとして実現しているのです。

認識するということは、非常に内的な働きであって、外的世界とは完全に切り離されているということを理解する必要があります。

そうなると、私たちのあらゆる体験、つまり認識が実在する世界から独立したものであり、相当に怪しいものだという感じがしてきます。

osho はそのことを伝えてくれていたのかなと。それを幻想という言葉で表現していたのだと思うのです。

では真実はどこにあるのかというと、体験ではなく体験する者だと言っているのです。体験者、あるいは観照者のみがホンモノなのだと。

どれほど素晴らしい体験をしたところで、それはあっという間に過ぎ去って記憶データと化してしまう一方、体験者はいつも今この瞬間に実在しているということですね。