肉眼がモノを見るということと、私たちがモノを認識するということは全く異なる現象だということを少し前に書きました。
そのことをもっと明確にするために、会社員の頃に経験した面白いエピソードを一つご紹介したいと思います。
このエピソードについても、かなり昔にこのブログのどこかで書いたことがあったはずなのですが、その記事を探せそうもないので、もう一度書いてみます。
東京の自宅から横浜にある会社までクルマで毎日通勤していた頃のことです。ある日、お決まりの深夜まで残業をした帰りに体験したことです。
会社を出てすぐに電話がかかってきたのです。仕事のことだったと思うのですが、内容についてはすっかり忘れてしまいましたが、帰り道のほとんどをその電話をしながら運転したのです。
電話の会話にすごく集中していたのは覚えています。そして、もうすぐ自宅に着くという頃になってようやく電話を切って、我に戻ったのです。
その時にびっくりしたのは、ふと気がつくと、自分がどこをどのように運転してきたのかの記憶が全くないのです。でもちゃんと、事故も起こさず無事に自宅の付近まで戻っているのです。
どうやっても記憶がないので、その時は不思議な体験をしたなというだけで、それ以上の説明ができなかったのですが、これが冒頭の話につながるのです。
つまり、この身体を操って巧みに運転をする「機能するマインド」がいるということです。私という自我は、そのことに一切協力していなかったわけです。
だから、私は運転をするという体験をしていないので、当然のことその記憶が全くなかったということです。
自我が仕事の会話に夢中になっていたので、まるで飛行機の自動操縦の状態にでもなったかのように、機能するマインドが仕事をしてくれたということです。
ここまで極端でなくても、日頃運転している際に何か危険を察知して急なブレーキを踏んだ時にも、ああ自分より先に誰かがブレーキを踏んでくれたと感じることがあるのです。
機能するマインドは、私よりも圧倒的に優秀なのです。そして1日のうちのほとんどをカバーしてくれていることにも気づきます。
そのことをより明確に気づくことで、おまかせモードで生きていくことができるのです。自分は、肩の力が抜けてお気楽な時間が増えること間違いなしですね。