こだわりと不自由さ

誰にでも「こだわり」というものがありますね。人によっては、こだわりがとても強い場合もあれば、逆にあまりこだわることが少ないということもあります。

例えば、あることに強いこだわりを持っている人が、自分にとってはそれはとても大切なことなんだと思っているわけです。

大切という言葉から連想されるのは、ポジティブなイメージです。ラーメンへの強いこだわりがあって、麺はこれこれ、スープはこれこれなどの選別がすごいわけです。

けれども、それがその人を縛ってしまうということもあるのです。自宅の近くに美味しいと有名なラーメン屋さんがあっても、その人にとっては選別外であれば利用できないわけですから。

面倒でも、遠くの自分好みのラーメン店までわざわざ出かけなければならないのです。ただし、そうした不自由さも込みで楽しめるのでしたら問題はありません。

つまり、楽しさと不自由さのどちらが勝ってしまうかにかかっているわけです。この辺りのことは、人それぞれなのでしょうね。

家を建てるにあたって気づいたことがあるのですが、自分の中に想像していた以上にこだわりを持っている奴がいるのです。

ところが、その不自由さの方が楽しむ気持ちよりも圧倒的に強く感じてしまうので、こだわるだけ自分が面倒な感じがしてしまうのです。

こだわりたい自分と、不自由を嫌う自分の攻防が起きてしまうのです。何でもいいよ、という自分にとってはどうでもいい攻防がまだまだ続くようです。