自我が瞑想を邪魔するわけ

昨日のブログの内容の補足です。昨日の記事は、外側に意識を向ければ向けるほど自我が際立ってくるし、内側に向ければ自我は小さくなる、という内容でした。

なぜそうなるのか、別の角度から見ることでもっと分かりやすい説明ができるはずです。それには、自我の素性を深く知ることです。

自我の生い立ちに目を向ければ、自ずと理解が容易になるのですが、幼い子供は周囲にいる親などの存在を鏡のように使うのです。つまり他者ありきで自我が生まれるのです。

自我の正体は、その子供の左脳の中で処理される一種のプロセスに過ぎないのですが、イメージとしては子供と親との関係性の中にこそ自我が存在するのです。

つまり、子供の自我は親と自分との関係の間にあるのです。人間と人間の間を取り持つ機能として自我は成長していくのです。

だからこそ、外側にいる他人の方へと注目を向ければそれだけ、自我はより活動できるわけです。自我の活躍の場が、人間と人間の間にあるということを理解すればいいのです。

そのことを一度しっかりと理解してしまえば、瞑想がどれほど自我にとって不都合なものかが分かりますね。

瞑想なんてとても無理とか、瞑想しようとしてもすぐに気が散ってしまって、とても続かないなどという人がたくさんいるのも分かります。

自我が邪魔をして、深い瞑想に入れないように仕向けるからです。そのことを十分に承知しつつ、少しでも瞑想に取り組んでいければ、必ず自我を鎮めて深い静寂の心地よさを体感できるようになるはずです。