戦わずに観ること

oshoの方法は戦わないということですね。

何度も何度もあなたは巻き込まれるだろう
気づいた瞬間、自分をそこから引っ張り出しなさい
再び自分自身を整え、もう一度観始めなさい
ある思考が湧き起こる–それを観なさい
それはあなたの目の前にやって来る–観なさい
するとそれは過ぎ去る
それに気づいていなさい

昨日のブログでは、自動思考を「止めるか、観るか、離れるか」が左脳をメタボ化から引き戻す方法だということを書きました。

私の自我の中には戦って打ち負かしたいという奴がいるのですね。だから、「止める」が真っ先に来るのです。

けれども、osho はただただ「観なさい」と。それに「気づいていなさい」ということに力点を置いているようです。

実は戦いというのは、相手の力を強くするという側面があるのです。それはそうですよね、相手だって負けじと頑張るわけですから、その分強さが増すわけです。

だから「観ること」が一番効率がいいということです。観ることを継続して行うコツは、osho が言うように巻き込まれてもそれに気づき、自分自身を整えて再び見始めるということ。

シンプルですが、これがなかなかできないのです。というのも、これだけ思考に気づいていようとしているにも関わらず、性懲りもなくまたやられたという思いに若干打ちのめされるからです。

だからそんなことには目もくれずに、ひたすら正気に戻してただ「観る」を継続できればいいということなのですね。

自動演奏、自動鼻歌に対してはできるのですが、思考が相手の場合はどうしても巻き込まれてしまいます。でもめげずに淡々と観るを繰り返していくしかないようです。