理不尽さは自我を活性化させる

人生には理不尽なことがどうしても起こりますね。どう考えてもおかしい、どうやっても納得することができない等々。そんなことのテンコ盛り。

それが他人の言動である場合もあるし、この世界で起きつつある出来事の場合もあります。いずれにしても、私たちはそれを何とかして正したいのです。

どこかで、そんなことには関わらないのが一番だという声がしても、不思議なことにその理不尽さをなんとかしたいということにほとんど執着してしまうのです。

そして理不尽なことにぶつかると、自我が勢いを増してくるのです。自分のエネルギーが大きくなって、自分の存在が目立ってくるのです。

理不尽なことを成敗したいという闘いへの欲望が、自我にとってはエサの役目をしてくれるからかもしれません。

もっとシンプルに言えば、自分の外側で起きていることに注意を向ければ、それだけ自我は大きくなるということです。

その反対に、意識を内向きにすればするほど、自我の活躍するスペースがなくなり、私は徐々に消えていくのです。

こうしたことを、端的に表現してくれたのが以下のoshoの言葉ですね。

自分自身の内に深く入ってゆけばゆくほど
いっそう自分は見あたらなくなってゆく
ところが、それこそがまさにあなたの実存の核心なのだ

そして、その逆もまたしかり
外へ出てゆけばゆくほど
それだけ自分が目につくようになる
ところが、それこそまさにあなたの非実存の核心に他ならない