「何も知らない」は気持ちいい

瞑想というと、誰もが「無念無想」のようなイメージを思い浮かべるかもしれませんが、その考えは改めた方がいいですね。

もっと簡単に表現すれば、思考に乗っ取られずにいられる状態、このことを瞑想と思えばいいのです。

だから、さあ今から瞑想するぞ!と力んだところで、左脳は思考をずっと投げつけてくるのです。考えないようにしようと思えば思うほど、思考は絶え間なくやってきます。

けれども、そんなことはどうでもいいのです。大切なことは、その思考をただ見守ることで自分は思考ではないと気づいていること。

思考そのものは決して悪いものなどではないのです。問題は単に、それに飲み込まれてしまうことなのです。

左脳からやってきた思考を、思わずパクッとやってしまうと、そこから今この瞬間にいることができなくなってしまうのです。

過去や未来に行ったり来たり、物語の中にどっぷりと浸かってしまうのです。私たちの本質は、決して物語の中になどいないのです。

時空の中にもいません。内側へと入っていくと、そこにはどうみても何も存在しないのです。全く何もない世界。

その時に、「何も知らない」というのもやってきたりして、それがとても清々しいのです。ほんの少しでも何かを知っているなら台無しです。

何者でもないし、何も知らない、そこにゆったりと寛いでいられるように心がけたいものですね。