冷酒を飲む、ただそれだけのこと

冷えた酒をグラスに注ぐ。透明な液体が揺れ、グラスの表面には小さな水滴が浮かんでいる。口に含めば、冷たさとともに、ほのかな香りや味わいが広がる。

そこには、何とも言えない心地よさがある。さて、この何気ない瞬間に、非二元の視点を持ち込んでみよう。私たちは普段、「私が酒を飲んでいる」と考えている。

私がグラスを持ち、私が酒を口に運び、私がその味を楽しんでいる。すべての出来事の中心には、当然のように「私」がいることになっている。

けれども、本当にそうだろうか。今、実際に起きていることを見てみよう。冷たさがある。味わいがある。香りがある。喉を通る感覚がある。

しかし、その一つひとつの経験の中に、それらを経験している独立した誰かを見つけることはできるだろうか。

酒を飲む人と、飲まれる酒。味わう人と、味わわれる味。そうした二つの存在は、経験そのものの中に最初から存在していたのだろうか。

もしかすると、あるのはただ、飲むという出来事の見かけだけなのかもしれない。そこには飲み手も、飲まれるものも、本当は存在していない。

ただ、冷たさがあり、味わいがあり、心地よさがある。そして、それを誰かのものにする必要もない。非二元とは、何か特別な境地に到達することではない。

冷酒を飲むという、ごくありふれた出来事の中にさえ、最初から二つに分かれていない世界が、そのまま現れているということなのだ。

今夜は、難しいことを考えるのはやめにしよう。冷えた酒がうまい。それだけで、もう十分ではないだろうか。 by Claris