信頼する気持ち

自分が今までに出会ってきた学校の先生や職場の先輩、上司のことを考えてみたら、この人は本当にいい事を言うなあという人に巡り合ったことがないかもしれないと思いました。

特に、小、中、高、大というように社会人になるまでの間の、もっとも吸収力のあるときのことを思い出してみても、やはり残念なことに印象に残る先生に出会ってないと思うのです。

小学5,6年の時の先生は今でも好きなのですが、それでもあの時のあの言葉を忘れられないというようなものがない気がするのです。

他の先生の場合には、好きでもなければ、ひどくなると見下していたりもしていましたので、一体何を教わったのだろうと疑わずにはいられません。

それでも敢えて言えば、幼稚園の時の先生が一番心の触れ合いが出来ていたなと思い返されますが、あまりにも自分が幼かったので心に残る言葉というものがあるわけでもありません。

そうやって考えてみると、こうしたことは偶然ではなくて、きっと自分に原因があるんだろうなと思えるのです。

それは、誰のことも信頼に足らない、もっとはっきり言えば信頼したくないという思いがあったのではないかと感じます。

であれば、当然のごとく真剣に先生の言葉を聞こうとはしなかったわけですから、結果としてはこうなっても仕方がないなと思うのです。誰かを尊敬するということは、自分には縁がないとまで思っていました。

今思い返すと、本当に残念なことだと思わずにいられません。自分を防衛したいという思いが強いと、誰かを信頼するということができなくなってしまうのでしょうね。

信頼できるかどうは、相手の問題ではなくて、自分の心の問題でしかないということです。そして、このことは今でも残っていると感じます。

ただ、今は根本的なところでは、誰のこともある種の信頼を持てるようになってきました。また、この人はいいなと感じる人も増えてきています。

この人は決して自分を裏切らないだろうという人もいます。すばらしい内容の本にも出合えるようになりました。そういう意味では、今が一番有難いと感じますね。

信頼する気持ちというものが、どれだけ自分を豊かにしてくれるのかということに、ようやく気づきつつあるということだと思います。

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