今日もシンプルに…
急に暑さがやってきたからか
午前中にふと小学生の頃の
夏休みの時の感覚が蘇ってきました
あの頃と比べて何が変わったのだろう?
何にも変わってない(笑)
これホント!
以上
今日もシンプルに…
急に暑さがやってきたからか
午前中にふと小学生の頃の
夏休みの時の感覚が蘇ってきました
あの頃と比べて何が変わったのだろう?
何にも変わってない(笑)
これホント!
以上
今日もシンプルに…
あなたは何かが足りないというふりをして
生きていませんか?
そのふりをやめなくてもいいから
ただそのことに気づいていることです
それはいずれゲーム感覚になるはずです
そうやって、どんな自分も
楽しんでしまえばいいのです!
以上
今日もシンプルに…
誰もが最も嫌うもの
それは苦しみですね
その苦しみから完全に解放される
方法が一つだけあります
もうお分かりですね
それは…
思考の外に出ること!
以上
今日もシンプルに…
もしもあなたが自分の外側の世界と内側の世界があると感じているなら
是非とも内側の世界にできるだけ意識を向けているべきです
なぜなら、内側を深く見ることによってのみ
内側と外側という区別はないと気づくことができるから
以上
今日もシンプルに…
自分のことを我が儘だと思っている人が時々いらっしゃいます。
そういう人に限って、決して我が儘ではないし、
無邪気さなどどこかへ隠してしまって生きてきたのです。
本当の自分の気持ちに気づくことなしには、
癒しを進めることはできません!
以上
もう10年以上も前の事だと思うのですが、あるクライアントさんがセッションにご両親を連れてきたことがあったのです。それほど多くはないのですが、たまにそういうこともあるのです。
そのクライアントさんは、それまでに個人セッションで私がお伝えしているようなことを、両親に直接伝えて欲しいらしかったのです。きっと自分では何を言っても伝わらないと感じていたのでしょう。
そのお母さんが最初に言った言葉が、今でもとても印象に残っています。そのお母さんが言ったその言葉とは…
「あなた(私のこと)が息子に勧めているような生き方をして、息子がたとえどれほど幸せになれたとしても、私はそんな生き方は絶対に認めません!」というものでした。
幸せになるには、それなりの方法があるということらしいのです。私は無駄だと思いつつ、どんな方法であれ息子さんが幸せになることに反対する必要はないのではないですか?と。
案の定、全く私の言葉がお母さんの中に入っていくはずもなく、言葉は虚しく宙に浮いた状態のままになってしまいました。
それ以来、そのクライアントさんがご両親の話しをすることはなくなりました。いい意味で見切りをつけることができたということなのでしょうね。
そういう意味では、ご両親を連れて来れたことは無駄ではなかったということです。子供というのは、どこまでいっても親への期待を諦めきれないのです。
いつかきっと分かってもらえる!そう信じて生きているのです。本人にその自覚がなくても、心の奥にいるインナーチャイルドは、そう思っているのですね。
いじらしいものです。けれども、どこかで見切りをつけて、親は親の人生を生きているということを認めて、自分は独自の人生を生きていく決意が必要なのです。
親に認めてもらう代わりに、自分で自分を認められるようにならなければ、未来は暗澹としたものになってしまうことに、しっかり気づくことが大切ですね。
今日もシンプルに…
1. すべての疑問は思考によって作り出される
2. ある疑問が湧き起り、どうしても答えが欲しいなら
3. 1.を見よ!
以上
今日もシンプルに…
自分にとって本当に必要なものはないと気づくと
生活がシンプルになってとても気持ちがいい
時々食事をして、疲れたら風呂に入って寝る
ただそれだけで満ち足りているシンプルさ
エゴはそんなのつまらないと言ってくるけどね
以上
唐突ですが、今あなたは自分の事を幸せだと思っていますか?はい、幸せです!と答えたあなたに質問しますが、その幸せの訳(わけ)を説明できるでしょうか?
もしも、これこれしかじかだから、私は幸せなんだと言えるのなら、その幸せは残念ながらそのうちには消えて行ってしまうでしょうね。
なぜなら、この世界にずっと続くものは決してないからです。言葉で説明できるということは、他人と共有できるものであって、それは表面的なものに過ぎないのです。
それは海面に出来ては消えて行く波のようなものだと思えばいいのです。その一方で、幸せな感覚がどこからやってくるのか説明できないという人もいるかもしれません。
そのような言葉で説明できないもの、つまり他人と共有することが難しいもの、そこにこそ本当の幸せ(それを敢えて至福と呼びますが)があるのです。
至福とは完全なまでに個人的なものなのです。どんな言葉を使ってもそれを人に伝えることはできないし、自分自身の中でも、それが何なのか分かりません。
敢えて言えば、至福とは自己の本質そのものであるということになるでしょうね。本質が永遠であるから、至福も永遠なのです。本質と至福は同義語です。
それにはどんな感動も興奮も何もありません。だって、何も無さだからです。無と至福も同義語だなんて、不思議なことですが、そうなんだから仕方ないですね。
幸せになろうと頑張ることに、いいも悪いもありませんが、それでも常にそれを求めて頑張るあなた自身の深みには、いつだって至福があるということも忘れないことです。
今日もシンプルに…
人生は振子のようなもの
幸せがやってきたと思ったら
次はそうじゃない感じになる
そしてどちらにしても一過性であり
真のあなたは微動だにしない
振子の支点だと気づくのです
以上