素朴な疑問 その2

昨日のつづきです。

最もシンプルで素朴な疑問である、宇宙って何だろう?や、自分ってナニモノだろう?というようなことと真剣に向き合うことが、なぜ人生を幸せにすることと深い関係があるかというお話しをします。

いつもこのブログで言ってるように、幸せとは永続的に心が平安な状態であることです。そのためには、心の中に何の葛藤もあってはいけません。葛藤があるということは、心の中に互いに相容れない思いや思考が同時に存在すると言うことですから。

一番簡単な例として、分かれ道にさしかかったときに、右へ進みたいという気持ちと左へ行きたいという思いが同時に一つの心の中にあれば、葛藤が発生するわけです。

葛藤があれば、心は混乱し、とても平安な状態でいられるわけがありません。そういった葛藤は、実際の行動として右へ進んだとしたら左へ行きたいという思いは我慢をさせられるわけです。勿論その逆もありますね。

そして我慢が繰り返されると当然それは怒りとして蓄積していくことになります。怒りの裏側には自己犠牲が張り付いて、場合によっては絶望感が出てくることがあります。

自分の心の中に何の葛藤も感じた事がないという人はおそらくいないでしょうね。私たちの心は実際のところ、葛藤だらけなんです。それは、心が表面意識、潜在意識、無意識などに分離しているということもありますね。

そして実は、我々の心の奥底には気づかれていない深い葛藤があるのです。そのおかげで人はみな本当の幸せを残念ながらおあずけ状態にさせられているのです。

その一つは、自分はナニモノかということについての葛藤です。大人になると、自然と自分はこの宇宙の中の地球に生を授かって生きている人間という固定化した自分像を常識として持つことになります。

しかし、子供の頃の自分はナニモノなんだろう?という疑問は、そういう常識的なことを度外視したときの、もっと深遠な疑問に思う感覚からきているのです。

そしてそれは、本当は自分がナニモノなのかを心のどこかで知っていることを暗示しています。ただその部分は厳密に封印され、抑圧されて分からないようになっている心の部分にしまわれているのです。

そうしたことから、片方は抑圧されて分からないようになっているとはいえ、私たちは自分はナニモノかということについて二つの相容れない知識を持っているということです。

このことが根本的な心の葛藤を生み出しているのです。そして、「奇跡のコース」では、隠された本当の自分のことを思い出すことによって、表面的に知っている常識的な自分像を打ち破ることで、心の葛藤がなくなり、真の幸せが実現すると教えてくれています。

どうすれば、本当の自分のことを思い出すことができるのか、それは「奇跡のコース」の教えに従って心を訓練していくことで可能になるのです。

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