骨身を削る

比較的楽な人生もあれば、苦労の多い、まさに骨身を削るような思いの人生もあります。どうも人は(特に日本人は)楽をしてはいけないというような潜在的な何かを持っているように思います。

辛く苦しいものを乗り越えてこそホンモノに出会えるというような気持ちを誰もが持っているのではないかと思います。人生は修行なのだということなのかもしれません。しかし、それはエゴの思いです。

人生の苦闘が人生の意義だとエゴが言い張るのですが、そういう声には耳を傾けないことです。エゴは何かを成し遂げて成長することに意義があるとも言います。場合によってそれには、名声を得たり、財を成すことが含まれるかもしれません。

楽して成功してはいけないとエゴは訴えてきます。苦労は買ってでもしろと昔の人は言いますね。しかし、苦労しないと本当に大切なことに気付くことができないでしょうか?

そんなことはありません。お釈迦様は何十年にも渡る苦行をしても悟ることができませんでしたが、菩提樹の下で何日間か瞑想しただけで、悟ることができました。その時にあの苦行は全部いらなかったと言ったそうです。

苦痛を乗り越えられたならまだいいのですが、苦しみの中にいてそれを耐えていることに意義があると感じるのでしたら、人生は辛くなければならないということになってしまいます。

こういった考え方はすべてエゴの作戦です。自分の骨身を削る必要など、何一つとしてありえません。苦しみには愛はひとかけらもありはしません。ですから、そんな愛のないところに意義などあるはずもないのです。

怠けるということとは別の楽をすることです。実は本当の怠け者というのは案外辛いものです。真から楽になれるというのは、防衛をしない心の状態になるしかありません。

忍耐や我慢というものを防衛の手段としていては、決して幸せになることはできません。 骨身を削る人生とは、自分を何かとトレードしている人生とも言えます。

そんな人生はいつまでも辛く苦しくて、不平不満だらけです。自分に犠牲を強いた分だけ、訴えたい気持ちが募るものです。何があろうと、何はなくても、楽で楽しくて、嬉しい平安な心を選択することです。

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