自責の念

クライアントさんとお話ししていると、時々どうしてそれほどご自分を責めるのだろうと思うことがあります。伺っていると、どんな些細なことでも自責の気持ちに変えてしまっているように感じてしまうのです。

幼い頃から親や周りの大人から教わってきた、人はこうあるべきというルールに照らし合わせて自分を裁くのでしょうが、それが驚くほど多岐に渡っているのです。

そして決して容赦をしません。もしもその人が裁判員制度の裁判員として選ばれて、裁判で自分自身を裁くとしたら、世界一厳しい罰を与えるでしょうね。

自分のこういうところが最低なのだという話しをじっくり聞いたうえで、それと全く同じようなたとえ話を第三者から聞いたらどんなふうに感じるかを聞くと、ものすごくやさしい思いやりのあるコメントを言ってくれます。

そのくせ、自分のこととなると鬼のような厳しい態度で自分を責めるのです。その違いのことをいくら指摘しても一向に分かろうとはしてくれません。

こうなってくると、何が何でも自分の事を責め続けていなければならないような事情でもあるのではないかと感じてしまいます。

自分を責め続けるメリットとは一体どんなものなのでしょうか?一番分かりやすいのは、本当は誰かを思い切り責めている自分の本心を隠す効果があるというものです。

わき目も振らずに一心に自分を責めていると、誰かを憎んだり恨んだりしている見たくない自分の本心に気づかずにいることができるのです。

自分が悪いんだという気持ちは、外側へ向かう怒りを抑える力があるからです。つまり、自分のことをいつも責め続けている人は、誰かに対する激しい怒りや憎しみを隠し持っているということになります。

もしも自責の念が沢山あると自覚している場合には、その奥に隠された本当の怒りについて感じてみることがとても大きな癒しのきっかけになるはずです。

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