人間をやめる

ずいぶんと昔に、近所に2~3歳の男の子がいて、時々ふらっとうちに遊びにくるのですが、「○○ちゃん、何してるの?」と聞くと、「遊びやってるの~」と答えたものでした。

彼はすでにその年齢にして日本語の正しい使い方を学んでいたのでしょう。「遊ぶ」という動詞の連用形である「遊び」を使うことで、名詞として用いるという方法を知っていたのです!

それはそうとして、「あなたは今まで何をしてきたのですか?」という質問や、「あなたは今何をしていますか?」という質問に対して誰もが同じ答えをすることができるのです。

それは、「人間をやってきました。」とか、「人間をやっています。」というものです。この答えはとても奇異に感じるかもしれません。

でも、これはとても的を得た答えであると言えるのです。ただ、人間として生まれて、生きているだけだと誰もが思っているかもしれませんが、実はそうではありません。

私たちは、人間をやっているのです。それも、かなりの努力をし続けています。この努力を放棄するとどうなるかというと、生まれたときの純粋無垢な存在へと帰ることになります。

赤ちゃんの時に森に捨てられて、偶然にも狼によって育てられた少年がかつて発見されたことがあったのですが、彼はまるで狼のように四足歩行をしていました。

勿論、生物学的にはどこからみても人間であることは間違いないのですが、ここで大切なことは本人が自分をどう見ているかという点なのです。

彼は決して人間をやってはいなかったということです。彼と私たちの違いは、ひとえに環境にあります。狼に育てられれば狼になるし、人間に育てられればこそ人間になるのです。

そして、人間になり、人間であることを維持し続けるのはとても大変なことです。なぜなら、人間になった途端にそれまでとは違って、自分とはひどく弱々しくて傷つきやすい存在となってしまうからです。

だから人間には病がつきものです。大変疲労することもあるでしょう。かつて、「人間やめますか、それとも覚せい剤やめますか?」というCMがありました。

私にしてみれば、覚せい剤をやめられない人ほど、どっぷり人間をやっている人だと思うのです。そして、人間をやっているすべての人はそうした快楽を使って気晴らしでもしなければやってられないのです。

人間をやりながら、そこそこ楽になっていく方法がありますが、それがいわゆる心理療法です。これは見方によればとても役に立つものです。

でも本質的な癒しを更に求めるとしたら、ある意味人間をやめる必要があるのです。それも人間をやりながらそれをする方法があります。

それは、本当の本当の本当の自分に気づくことです。それが、生まれたときのあの純粋に周りを見ているだけの自分であり、自分の存在を「無」にした自己の気づきです。

今後はより多くの人と、そうしたことを分かち合っていきたいと思っています。

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