理性を超えたところに真実がある

私たちは誰もが幸せになりたいと願っています。幸せだと感じている人であっても、もっと幸せになりたいと願うものです。そして、いつまでも幸せでいたいとも願うのです。

幸せとは、満ち足りた心の状態であることですね。では、一体何を持って完全に満ち足りた心になることができるのかを考える必要があります。

この世界で手に入れられるものは、どんなものでも一過性のものです。それは来ては去っていくものであって、一つとしてあり続けるものはありません。

ということは、私たちが求めている本当に満ち足りるという状態には、何を手に入れたとしても到達することができないということになってしまいます。

そしてそれこそが本当のことなのです。どれほど望んでいたものが手に入ったとしても、いつかはそれを失う現実がやってきます。

それは必ず未来への不安を作り出すことになり、心からの満ち足りた平安ではなかったということに気づきます。であれば、永遠に変わらぬものを探さなくてはならないということになります。

ところが、残念ながらこの世界にあるどんなものでもいつかは滅びてしまうものだと分かっています。一体どこに永遠のものがあるのでしょうか?

永遠とは、真実であることの一つの特徴であるとも言えます。だとしたら、その真実というものを見い出さねばならないわけですが、ここに一つの関門があるのです。

それは理性という関門です。私たちは日々の生活の多くを理性に頼って生きていることは間違いありません。理性とは人間にだけ与えられたすばらしいものです。

ところが、この理性に頼りすぎてしまうばっかりに、もっとも大切な真実を見落とすことになってしまうことに気づけなくなったのです。

なぜなら、真実は理性の届かないところにあるからです。このことは、厳粛に受け止めなければならないことです。

しかしながら、理性はそれが届かないところにこそ真実があるのだということを理解することだけはできるのです。

それが分かったら、理性に頼ることを一時的にでもやめてみることです。理性によって、幸せの種を探してきたことを反省し、それを中止するのです。

理性にとっては、何とも屈辱的なことかもしれませんが、敢えてそれを勇気を持って受け入れるのです。そのときに、初めて今まで捕らえることができなかった真実が顔をのぞかせることになるのです。

そこにこそ、永遠の至福が在るのですね。