明日への期待をやめる

じっと静かにして、自分の心を感じていると、そこには漠然とした不満が横たわっていることに気づきます。具体的に何がというよりは、心そのものが不満で出来てでもいるかのようです。

そして、それに関連してなのか、未来に対して何らかの期待を持ってもいると分かります。これまでの不満を解消する何かがやってくるのではないかという期待ですね。

一体どんなことを期待しているのかを、具体的に無理やり考えつく限りあげてみようとすると、例えば人との出会いというのがあるかもしれません。

すばらしい人、真理を教えてくれるような人、大切な気づきを与えてくれる人、そんな人が現れてくれることを期待している気持ちがあるかもしれないです。

あるいは、もっと直接的に今持っている漠然とした不満を払拭してくれるような何かの体験だとか、健康な身体を取り戻すことなどがあるようです。

こうして見てみると、大抵が「私」としての心棒は変わらずに、外側から何かがやってきてくれるとか、ただ問題と思われている箇所が修繕されるというようなことであるようです。

しかし、こうした期待を持っている限り、それ自体が不満を維持し続ける元となるということに気づかねばなりません。

したがって、明日こそ素晴らしいことが起きますようにという願いは、今すぐにでもやめる必要があるということです。

明日は素晴らしい日でありますようにというのも、何となくピントがボケています。それよりも、明日が素晴らしい日であると気づけるようにとの願いの方がまだいいかもしれません。

そしてもっと素晴らしいことは、不満を持っていると感じているこの「私」は、本当の私ではないと気づくことです。

この気づきは、明日まで先延ばしにする必要もありません。本質の自己から、ほんの一瞬「私」が発生して、しばらくは不満と明日への期待を持ちつつ活動し、そしてその中へとまた消えていくだけなのですから。