泳ぎ続けるのをやめてみる

私たちの人生とは、大海原の上でそれぞれに異なった泳ぎ方で水泳をしているようなものです。誰もがみな水泳をし続けているのです。

泳ぐことをやめてしまったら、ブクブクと海の中に沈んでいってしまうと信じているからです。ある人は、平泳ぎしかできなかったのに、クロールができるようになったと喜んでいます。

またある人は、昨日よりも綺麗なフォームで泳げるようになったかもしれませんし、隣の友人よりも速く泳げるようになったということもあるでしょう。

様々な練習を重ねることによって、もっと巧みな泳ぎ方を学ぶ人もいるでしょうし、そうしたことを他人と競うことで勝ったり負けたりを繰り返しているのです。

海の波が静かなときには、ゆったりした穏やかな気持ちで悠々と泳ぐことができますが、嵐ともなると高波に揉まれて沈まないようにするだけでも一苦労です。

そして、熟達した結果、水泳の方法を他人に教える人が出てくるかもしれませんし、もっと上手になったら溺れそうになっている人を救うことができるようにさえなるかもしれません。

いずれにしても、誰もがそうやってそれぞれの泳ぎ方で泳ぎ続けているのです。一日中連続して泳ぐので、疲れて睡眠をとる必要があるのも当然です。

でも朝目が覚めたら、またすぐにいつもの水泳を続けることになるのです。そうやって、もしかしたら一度も泳ぐことをやめることを試して見たことがないのかもしれません。

本当に苦しくて、いくらもがいても頑張ってももうどうしようもないと崖っぷちまで追い詰められた人が、泳ぐのをやめることができるのかもしれません。

それでも生きている間に、それこそ神の恩寵によって、人は泳ぐのを全面的にやめてみようかと考えることがきっとあるはずなのです。

それは言い知れぬ恐怖が待っているように感じます。でもそれを何とかしようとするのをやめて、なるがままに身を任せてみることです。勿論身体は沈み出すでしょう。

どんどん沈んでいって、海の深いところへと落ちていくでしょう。呼吸もできずに苦しくなり、意識もぼんやりしてくるはずです。

でもそのときに、なぜか息苦しさを感じなくなっている自分に気づくのです。その不思議さを全身で受け止めているうちに、驚くべき視点の変換が起こるのです。

それは、ずっと今まで海面で泳ぎ続けてきた自分は本当の自分ではなく、この無限に広い海こそが自分そのものだったのだと…。

みなさん、泳ぐのを一分だけでも全面的にやめてみませんか?