昨日のブログでは、バランスを取ることの大切さとその方法について書きましたが、今日もそのことについて、別の事例を使って書いてみたいと思います。
スピリチュアルという言葉が流行って、もう随分と時が経ちますね。私たちは、誰が何と言おうとこの身体と共にこの生を生きているはずなのに、そのことを軽んじてスピリチュアルな生に傾く傾向があるようです。
本当は、フィジカルとスピリチュアルがともにバランスよく意識されていることが自然であり、最も生を満喫できる最善の方法なのですが、どうも片方に偏重ぎみなのです。
高度成長期には、たくさん働いてたくさんお金を稼いで、欲しいものを買って、夢のマイホームを建てて…、その先に幸せが待っているという期待で生きていたかもしれません。
そうしたある種の物欲合理主義が行き詰った末に、今度は精神的な面にこそ価値があるとして、スピリチュアルな人間がより高貴なのだとばかりに、変わってしまったのだと思うのです。
けれども、それは片方に挫折したので、もう片方へとターゲットが移っただけで、結局はバランスが取れていない状態は何も変わってはいないのです。
このブログで繰り返し書いている、私たちの本質に気づくことは、けっしてスピリチュアルなことではありません。本当の私たちの姿とは、心のことでも精神のことでもないからです。
物質的なものと精神的なものは、この世界での現象に過ぎません。したがってどちらかに重きを置くのではなくて、その両方をバランスよく生きることこそが、生を満喫することに繋がるのです。
そのバランスを取る最前の方法こそが、自分の本質に気づくことなのです。それは、決してスピリチュアルなことではありません。勘違いしないことです。
物質的なものと精神的なものの双方を丸ごと受容している自分の本質に気づくことは、何にも代えがたい本当の人生の目的なのだと思います。