傷つくことの大切さ

誰でも傷つけられるのはイヤなものですね。身体的に傷つくのもイヤですが、それにも増して心が傷つけられるのは本当に御免こうむりたいものです。

まだ自我が確立していないような幼い子供の時分は、無邪気に正面から接してきますが、その分だけ心が傷つけられてしまう場合が多いのです。

その体験に懲りて、次第に無邪気な振る舞いをしないようになっていくのです。つまり、無防備であった毎日から少しずつ自己防衛の毎日へと変化していってしまうのです。

心を開いていた分だけ気持ちは清々しかったはずですが、それだけ傷つけられやすくもあったので、傷つかないようにと準備を始めてしまうのです。

こうしたことは、誰もが通る共通の道なのです。自己防衛の具体的な作戦は、人によってそれぞれ違うのですが、概ねは二種類に分類されます。

一つは、人と接する機会を減らして、なるべく独りでいるようにするという作戦です。そもそも自分を傷つける誰かと一緒にいなければ、安心していられると思うからです。

もう一つは、人と接しながらもそこでなるべく傷つかないようにといろいろな防衛法を身に着けるのです。それこそ、プライドを高くしたり、勝負で勝ちにこだわったり、常に見下すネタを探してみたり、自分の正しさや能力で心の鎧を着るのです。

無邪気な幼少期を第一段階とすれば、こうした自己防衛ど真ん中で生きるようになるのが第二段階と言えます。このままでは、人生は味気ないつまらないものとなってしまう傾向が強くなります。

そして、第三段階がくるのです。それは、傷つくことを恐れても、その恐れを正面から感じることで、逃げなくしていくということです。防衛半分、無邪気さ半分くらいの割合でバランスをとるのです。

何事につけてもバランスが大切です。傷つくことを好きになる必要はまったくありませんが、傷つくことがなければ人はそれだけ大切なことに気づかずに終わってしまうことも事実と認めることです。

朝布団から出る前に、「今日一日くらい、少し位傷ついてもいいや!」と自分に言ってあげてから起きるのです。傷ついたらチャンスをもらったと思って、そこから逃げずにしっかりとその傷口を見てあげるのです。

それまで見えなかった何かが見えてくるはずです。確実に恐れは小さくなっていくことでしょう。

義務化する罠

つい最近のことなのですが、どうも左の肩の当たりに鈍い痛みがあって、朝の水泳のときに支障が出てきたのです。以前やった五十肩のように腕が上がらなくなるといった症状とは違うのですが…。

それでも、毎日決まったことなのでルーチンワークのように泳いでいたのですが、さすがに右手だけで水をかくことを繰り返している間に、泳ぐのがいやになってしまいました。

それで、この数日間はスポーツクラブに行ってすぐに、お風呂に直行という生活をしています。それで気づいたのですが、誰もいない広々とした湯船に一人浸かって、久しぶりの温泉気分を味わうことができました。

いつもは、泳いだ後サウナと水風呂に交互に入って、短時間にどれだけ汗をかけるかという勝負でもしているかのようだったのですね。気楽なようでいて、結構勝負をしていたと気づいたのです。

気持ちがいいからと思って、ただ毎日していることが、自分の気づかぬうちにある意味義務化していたということなのでしょうね。

どんなことでも義務化してしまうと、自由な清々しい気持ちがどこかへ行ってしまうはずです。そのことに気づかなかったのは、自分でも驚きでした。

久しぶりのリゾート気分を味わうことができたのも、怪我の功名なのかもしれません。私は、自分の未来がまったく分からない状態で生活しているので、未来に対する義務感はゼロなのです。

けれども、一日のスケジュールくらいは決まっている方がいいとして、知らず知らずのうちに午前中の水泳&サウナをこなすことに、義務感が芽生えていたということですね。

人は計画を立てて、それに従って行動することで安心を得ようとする傾向があるのですが、それと同じことをしていたのかもしれません。この経験のおかげで、たとえ毎朝のことであっても、決めないで出かけてみようと思ったのです。

決めたことをやらねばならないというのは、安心を得ようとしてかえって義務感を生み出し、自分を縛ってしまう結果になるということですね。

あらためて、自分はどんな場合でも、いついかなるときも自由でいられるのだということを再認識することができました。

進歩せずに生きる

外出があまり得意ではない私は、どういうわけかサラリーマン時代にはたくさんの出張をさせられていた経験があります。全部で4つの会社を渡り歩いたのですが、その全てで出張が多かったのです。

何かの嫌がらせなのか、偶然なのかは未だに分かりませんが。まだ営業職であれば分からなくもないのですが、ずっと技術職だっただけに納得がいかないのです。

その当時、いろいろなところに会社のお金で行けていいね、と羨ましがる輩もいましたが、旅行すらあまり好きではない私にとっては、出張は苦痛でしかありませんでした。

だから今の仕事になってから、出張というものがほとんど皆無となったことは、私にとっては幸運の極みなのです。本当にごく稀にクライアントさんのお宅まで出向いて、セッションをすることもなくはないのですが…。

ただし、今後もずっと今のままでやっていけるという保証などどこにもないので、また出張の日々が再燃してしまうことになるかもしれません。

なぜ出張や旅行が苦手かというと、きっと二つの主な理由が考えられるのです。その一つは、大変な臆病者だということです。つまり、怖がりなので身の周りで予期せぬ出来事が起きる可能性が高くなるだけで、気が重くなるのです。

勿論出張先や旅行先で、考えもしなかったことに出くわしたりすることは、確かに面白いこともあるし、自分の中にも多少はある冒険心が刺激されて興奮もするのですが、それよりも恐怖が大きいのでしょう。

出張や旅行というよりも、冒頭書いたように、単に外出することが億劫というのもそこから来ているのだろうと思います。外的刺激に敏感過ぎるということです。

そして、もう一つの理由ですが、それはどこに行っても何を経験しても、過ぎてしまえば同じというのが根っこにあるようです。どれほどすばらしい景色に感動しても、すぐにそれは消えてしまうのです。

そのために、外的刺激を様々に変化させていろいろな体験をしたいという欲求がないのです。どんな体験をしても、いつもそのど真ん中には変わらぬ自己が在るだけです。

その自己は本当に変わらない。今だに精神年齢は10代かもしれませんし、進歩も改善もありません。きっと死ぬ間際にも同じことを言っているはずです。

こういう人間がいてもいいのでしょう。何の役に立つかはほとんど不明ですが…。

全体性の中に溶ける

私たち人間の身体が、約60兆個の細胞から出来ていることは周知の事実です。それが、どのようにしてだかは不明ですが、それぞれに固有の役割を担いつつ、互いに協調して働きながら生を営んでいるのです。

本当のところは分かりませんが、その一つひとつの細胞自体が固有の意志や欲求を持っているとは思えませんし、私たちのような自我があるとも思えません。

つまり、細胞一つひとつには思考というものがないということです。それはきっと、人間一人の身体全体を司る何かに明け渡している状態ということです。

私たち一人ひとりが細胞のようになれというのではありません。なぜなら、細胞には気づくチャンスがないからです。でも、自我を作ってしまった人間には、幸運にもそのチャンスがあるのです。

地球上の人間の数は60兆からは遥かに及ばず、たったの70億程度ですが、それぞれが固有の意志や欲求を持って、自律的に活動しているように見えますね。

それぞれにある程度の関連を持ってはいるものの、所詮は個別性の中で人生を生きていると思い込んでいます。つまり、バラバラな存在なんだという強い思い込みがあるのです。

けれども、全体性に気づいた人はそうは思わないのです。細胞一つひとつと同じようにして、70億の人々は遥かなる源泉からの力によって、完璧に仕組まれた生を生きているのです。

私たちが明示的に明け渡すかどうかに関係なく、本質的には細胞と同じように最初から明け渡しているのです。それ以外の状態になったことは一度もありません。

今この瞬間、このブログを打っている私の指先の動きの一つひとつも、明け渡し以外の何物でもありません。全体性に注意を向ければ、そのことが自明となるのです。

思考の中で暮らす自我には、全体性を見ることができません。なぜなら、思考そのものが分裂を意味するからです。思考とは、分離なのですから。

全体性とは、あらゆるものを包含した「無」です。あなたの心の中についても、そのように見ることです。どこか一部分だけを切り取って、これはすばらしいとか、ここはダメな部分などとやらないことです。

あなたの心の中に、愛以外のいかなるものがあろうと、それは全体性の中に溶けてすばらしい働きをしているのですから。

病気の功名

会社員の時ですが、大澤杯ボーリング大会というのを職場でやっていたことがあります。男性が多い職場だったので、いろいろな部署のセクレタリーの女性を毎回誘っての楽しい大会でした。

勿論ボーリングが終わったら、ふつうの飲み会へと流れるシステムでした。優勝者は、名前を書いてもらったトロフィーを次の大会まで、机の上に置いて誇れるという特典もあったので、そこそこみんな本気?でやっていたのです。

あるとき、たまたま大会の日に腰痛がかなりあって、でも立ち場上欠席というわけにもいかないので、とりあえずダメ元で参加したことがあったのです。

ところが、気負いが抜けたのか、力が抜けてリラックスできたせいなのか、いつもよりもコントロールがよくて結果として優勝してしまったことがありました。

怪我の功名というのか、自分でも驚いてしまい、腰が痛いのはウソだったのではないかと疑われたほどでした。アスリートの人の話しでも、あまりに調子が良すぎると意外に期待した結果が出ないというのを聞いたことがあります。

思えば、45歳で大腸がんになったときも、それがきっかけの一つとなって会社員を辞めて、今の仕事に就くことになったわけで、やはりこれも怪我ならず病気の功名と言えるかもしれません。

やはり人は幸せだったり、調子のいい時よりも具合が悪かったり、何かに困って追い詰められている時の方が、圧倒的に大切な気づきがやってくると言えるようですね。

癒しについてもまったく同じことが言えます。セッションにこられるときは、順風満帆では決してないわけで、だからこそ癒しのチャンスがやってくることになるのです。

逆風が吹いたり、試練のようなものに立ち向かうというのは、確かに逃げない姿勢ということではすばらしいのですが、そこには戦いの要素があり、自分の力で人生を何とかしようとする自我が真ん中に居座っています。

勇ましい姿というのは、いつの世にも人の心を感動させるものですが、できれば惨めに負けを認めて打ちひしがれた心になれた方が、はるかに癒しが進むのも事実です。

それは無防備な心に近づくことであり、結果として大いなる意志と繋がる大チャンスがやってくるからです。

真の明け渡し法

自分の存在価値に気づけずに大人になってしまうと、自己否定感が強く心の中に残ってしまうでしょうね。自分はダメなやつだと烙印を押してしまったのですから、それは心の底に強烈にこびりついてしまうのです。

それは本当につらいことですから、本人は何とかして自分のことを好きになることはできないかと奮闘するのですが、大抵はなかなかうまく行かないはずです。

存在価値に気づかせてもらうためには、成長過程において十分な自己表現と、それに付随した十分な受け止められ感が必須なのです。

そうした体験が十分でない分だけ、存在価値は怪しくなって、何となく自分はここにこうしてこのままいていいのかどうかが、分からずに不安が続くことになるのです。

さらに言えば、親の厳しいルールに問答無用で従わされたり、叱られる恐怖なども存在価値の気づきを抑制するはずです。

あまり知られていないかもしれませんが、親が高度の心配性だったりすると、心配させる自分はダメなやつという理屈が働いてしまい、理不尽にも自己否定が拭えなくなってしまうということも起きてきます。

自己否定感が悪循環を生み、もうどうしようもないところまで心理的に追い詰められたとき、つまりある種の極限を迎えると、そこには平安が待っていることがあります。

それは、自己否定という最強の自己防衛が自動的に停止するからです。本人の意思とは無関係に、観念する状態になるのです。ここまで落ちたならもうどうでもいいという気持ちです。

何とかして自分をもっと向上させねばという気持ちが消え失せたとき、人は清々しい場所に行くことができるのです。これは、明け渡した状態であるとも言えます。

言ってみれば、極端から極端に移動したようなものです。したがって、残念なことですがこの状態は長く続くことはなく、次第にまた慣れ親しんだ自己否定感がやってくることになるのです。

自動的にやってきた明け渡しは、これまた自動的に消えていってしまう運命にあるのです。これを自分の制御下に置くことはきっと不可能なことなのです。

けれども、完璧に自分の意思で明け渡しの状態を維持することができる方法があるのです。それが、今この瞬間どうなっているかに意識を向けるということです。

なぜなら明け渡すとは、物語から抜けるということだからです。そして、この方法に限っては、常に努力なしに実践することが可能ですし、再現性もある真の明け渡法しなのです。

純粋な愛と分離からくる恐怖について

もしもあなたが、特定の誰か一人を愛しいと感じ、その人を愛しているに違いないと思っているのでしたら、その人に執心しているなら、それは残念ながら純粋な愛ではありません。

というのは極論かもしれませんが、本当のことです。けれども、それが悪いということをいいたいのではないのです。そもそも純粋な愛について、私たちは頭で理解することはできてもそれを体験することは難しいのです。

この世界は、分離という現象をベースに出来上がっています。地球は太陽とも分離していますし、あなたはお父さんやお母さんからも分離していますね。

この分離しているという概念が純粋な愛を隠す張本人なのです。それは、太陽の光を遮る厚い雲のような役目をしており、光が届かない部分を恐怖と呼ぶのです。

つまり、分離による恐怖がこの世界を形作っているということです。いいとか悪いという話しではなく、そのような現象がこの世界を作っているということなのです。

逆に言えば、純粋な愛とは分離のない世界、それはもうすでに世界という言葉が通用するようなものではありません。敢えて言えば、このブログで何度も言っている全体性ということです。

全体性とは分割することのできないものです。全部は常に全部であって、部分をいくら集めても全体にはならないのです。

したがって、純粋な愛だけでは私たちが興味を抱くどんな物語も成立し得ないということです。分離からくる恐怖があっての物語なのです。

心の中で分離を信念としている自我にとって、物語は欠くことのできないものであり、物語とは自我のことだと言ってもいいくらいなのです。

だから、物語の中に没入することは自我に熱中することであり、物語を観る立場にあることこそが、自我を含めたあらゆるものを受け止めることになるのです。

最後に一つだけ、自我の悦びは興奮であって、全体性の悦びは静寂なのです。

子供はつらいよ

国民的人気映画だった寅さんシリーズを知らない人はまずいないと思いますが、あの映画がスタートする前にはテレビドラマだったということを知っている人はあまりいないのではないでしょうか?

その頃の自分の年齢はよく覚えていないのですが、確か日曜の夜に毎週一時間枠のドラマとして放映していたのを覚えています。すごく面白くて、終わってしまうのが本当に惜しいと思っていました。

きっと当時そう感じていた人が大勢いたのでしょうね、だからこその映画化が実現して、案の定大成功したためにシリーズ化されたのだと思います。

主人公である寅さんの『その日暮らし』っぷりが大好きで、彼の「そこが渡世人の辛いとこよ~」という決め台詞も大好きでした。それが、「男はつらいよ」という題名にも使われているのだと思います。

「男はつらいよ」というのは、男の身勝手な言葉であることは確かですが、「女だってつらいよ」と文句を言う女子を見たことがあまりありません。それだけ、女性の方が大人なのでしょう。

男性でも女性でも、辛い時はつらいというのが本当のところですが、私の本音を言わせてもらえば、「子供はつらいよ」というのが、一番しっくりくるのです。

とかく大人になると、「子供は仕事をしなくていいので楽だ」と安易に決めつけてしまいがちですが、それは違います。子供には子供の辛さがあるのです。

子供は、いつも知ったかぶりした大人たちから理不尽なコントロールを強いられる立場にあるのです。そのことを、どうも成長すると忘れてしまうのかもしれません。

私たちは今が辛いときに、子供の時の楽しかった頃を思い出して、あの頃は本当に無邪気でよかったなあ、あの頃に戻りたいなあ、と思う人もいるかもしれません。

けれども、それは都合のいい記憶ばかりを使っている可能性が高いのです。大人の辛さは、本人が八方塞がりだと思い込んでいるだけで、抜け出す方法はいろいろあるのです。

それに対して、子供の頃の辛さというのは、逃げ出すことがまったく不可能なのです。子供はその絶望感の中にいると思って間違いありません。だからこそ、私は子供の頃のどこの時期にも戻りたくはないとはっきり言えるのです。

もしも、あなたが今の自分の人生が辛いと感じているのでしたら、子供のころは確実にそれ以上辛かった時があったはずなのです。

その頃のことをしっかり思い出して、その頃の子供の自分を救い出してあげることしか、今の辛さから本当に解放される方法はないということに気づくことです。それが癒すということなのです。

すべての物語を越える

人の人生はそれぞれ違っていていいのですけれど、それでも何の目的もなくただ毎日を漫然と過ごすよりは、なんでもいいので大きな目標なり、目的のようなものがあった方がハリがあっていいと思うのです。

私自身がほとんど、人生に目標らしきものを持ったことが一度もなかったので、その生き方はつまらないということを身に染みてよく知っているのです。

ですから、特に若い方には目標を持ったほうがいいと思う、くらいのことは言うのです。実績のない自分の言葉なので、あまり説得力がないのは感じているのですが…。

またその一方で、今どうあるかに注意を向けて下さい、ともお伝えするのです。その両方を言われた人は、きっと矛盾を感じてしまうのかもしれませんね。

けれども、それは決して矛盾しないのです。目標を持つというのは、人物として人生という物語を生きる人に向けての言葉であり、今に注意を向けるのは、その物語から抜けて本質に気づくためだからです。

生きる目的はどんなものでも構いません。たくさんお金を稼ぐことであっても、活躍して有名な人になるということでも、はたまた神のお告げに従って人類を救うということでもいいのです。

10年以上前にセッションを受けに来てくれていた中学生の男の子がいたのですが、彼はヒプノの中で数億年前の地球における戦いを仕切っていた過去世を思い出して、罪悪感に呻いていました。

私もそのセッション中に彼と同じイメージを見せられて、壮絶な戦いに驚いたことがありました。どんなに壮大なスケールのことであっても、それも一つの物語に違いありません。

物語に嵌る自分に問題はないのですが、それが100%になってしまうと真実を見失ってしまうのです。それでは、生まれてきた甲斐がありません。

物語の中で活躍する自分を、たった今距離ゼロの内側から見つめることで、私たちの本質に気づくこと。それこそが、すべての物語を越えた本来の目的だと思うからです。

色合いの好み

幼稚園児の頃は、毎日絵を描くときに使っているクレヨンは、確か12色くらいのものだったと思うのですが、倉庫?のようなところの棚には、もっと様々な色のクレヨンが入っているセットがあったのです。

そこで、青と緑が混じったような何とも魅力的な色を発見したのを覚えています。赤と青が混じったような今でいうワインレッドのような色のクレヨンも発見。

この魅惑的な色のクレヨンを、こっそりと一人で見に行くということをやっていた記憶があります。今もそのような色合いがやはり好きかもしれません。

その時、色って不思議なものだなあと感心したのですが、残念なことにすぐにそんなことは忘れて行ってしまいました。それと、金と銀を逆に覚えてしまって、あとで修正するのに苦労しました。

そんな訳で、殊更に色彩には興味を持っていたわけではないのですが、昭和39年の東京オリンピックをカラーテレビで観ようという話しが家で持ち上がり、堂々とした貫禄のカラーテレビが我が家にやってきたのです。

あの頃カラーの威力は凄まじかったですね。それまで大して好きでもなかった番組を、ただカラー放送だからという理由だけで、随分と観てたことを思い出します。

まだまだ多くの番組が白黒放送だっただけに、カラー番組の魅力もいまだに身体の芯にその興奮が残っているようです。こんなことを細かく覚えている人は、もうほとんどいないでしょうね。

色彩の好みというのも、その人の代表的な趣向の一つと考えていいと思うのですが、残念なことにその生まれ持った色合いの好みを見失って成長してきた人もいらっしゃいます。

幼いときに自由な自己表現や感情表現を強く抑圧してしまった場合、自分のオリジナルな感性がどんなものか分からなくなってしまうのです。

そうすると、大人になっても自分の好みの色というものが分からずに、無難な色ばかりを身に着けてしまっていたりするのです。

実際、癒しを進めて行ったあとに、暗い色合いから華やかな感じの色の服を身に着けるようになったクライアントさんを何人も見ています。

あなたは、自分の色の好みというものを完全に把握していますか?何となく身に着けている服の色合いを再度見てあげて、それが本当に自分の好みの色なのかどうかを見つめてみてもいいかもしれませんね。