無選択を心がける

毎日が淡々と過ぎていく人生を生きていて思うのは、自覚があろうとなかろうと私たちは生きるということを選び続けているということです。

死なないように、つまり死を選ばないでいるということが、そのまま生を選択しているということです。ところで、自殺する人の多くが、実は生への強い執着があったということをご存じですか?

生を強烈に選択していたからこそ、その極端な選択がひるがえって、そのマインドが今度は死を選択することとなったということです。

少なくとも、生きていても死んでもどちらでもいいという人が、わざわざ自殺するということはないからです。私たちが何かを選択すれば、それが強ければそれだけ強く真反対を選択する可能性が高くなるのです。

生きていたい、あとどれくらい生きられるのかと思えば思うほど、死というものを間近に感じてしまうのと同じかもしれません。生を選択すれば、必ず死がついてくるのです。

自分の心がいつも平安で安らかであることを選択すればするほど、怒りや恐れがついてくるのです。この二元性の世界では、そういうことになってしまうのです。

快楽ばかりを選択すれば、必ず不快さに苛まれる人生がついてきます。二元性の片一方を選ぶということは、それと対極にあるものを選ぶことと同じだということに気づくことです。

幸福を選択すれば、不幸がもれなくついてくるのです。安心を選択すれば、どこまでも不安がくっついてくることは、もう十分に誰もが知っていることですね。

かつてブッダが言った言葉で、中道を行くというのがあるそうですが、それは両極のどちらかを選択するのではなく、そのどちらでもない間にいること、無選択でいるということです。

無選択でいるということは、毎日無数の選択をし続けているマインドにとっては不可能に近いことのように思われますが、それを心がけるということです。

無選択で生きるというと、なにやら柄にもなく修行っぽい感じがしますが、要するに無選択を心がけることで結局は無思考のマインドに近づいていくということですね。

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