あなたの本質は空虚であり全体なのです

以前瞑想中に、自分という人物像についてのイメージをめぐらしていたときに、その像の背中の当たりを指でデコピンするような感じで弾いてみたら、パラパラと跡形もなく崩れ落ちたのを見たことがありました。

そのときに初めて、ああ、自分というのは単なるイメージ、像なのだなとはっきり思ったのです。だからこそ、人物像というわけです。そこに実体はないのです。

けれでも私たちは、どうしても自分という存在がここにいると感じてしまうのです。感じるからこそ、ちゃんとした実体があるに違いないとも信じるのです。

マインドは何からできているのかということを見てみると、雲のように来ては去っていく沢山の思考群と、その思考によって生み出された感情、そしておびただしい量の記憶から成り立っていることが分かります。

たとえば、今日の記憶とはどういうものかというと、昨日までの記憶の中にある自己像が体験した事実、思考、感情などで出来上がっているのです。

つまり、私たちは、記憶の中でだけは自己が益々体験を増やして肥えて行くわけです。けれども、それは実は記憶の中での話しであって、本当は毎日が新鮮な新しい体験者と体験で出来ているのです。

エゴはとにかく蓄積していくのです。蓄積して蓄積して、もうどれだけの生を超えて蓄積してきたことでしょう。その集大成が今のあなたのエゴなのです。

でも、心静かに自分に意識を向けてあげれば分かることですが、自分の内側はスカスカです。空虚そのものです。膨大な記憶も一過性の思考や感情も、勿論自分自身ではないと分かります。

そのどれでもないもの、それこそは時間と空間を超えて在るもの。それが純粋な意識であるあなたの本質なのです。それは全くの空虚であると同時に全体でもあるのです。

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