ただ在る自分となる

私たちには、人生の中で様々な教師との出会いがありますね。その沢山の教師たちから、多くのことを学んでいくわけですが、人生最初の教師は一般的には両親であるはずです。

親という教師から与えられた教育の影響は絶大なものです。なぜなら、何も知らない無垢な状態のところに新しいルールなり考え方を教わるわけですから。

真っ白なキャンパスに、親の色付けが進んでいくのです。そこで、自分はどのように生きて行けばいいのかという基本中の基本を描き記されるのです。

その後成長するにしたがって、学校の先生という教師に学業を学び、周囲の友達から人と共に協調しながら生きて行く方法なども会得するのです。

そして、社会という大きな教師からも学ばされていくのです。これらの教育のすべてから、どのようにして立派な社会の一員となっていくのかということを教え込まれることとなるのです。

このようにして、私たちは本当に幼い頃から継続して教えられ、知識を増やしていくということを経験するのです。捨てることよりも、手に入れることが上手になるのも無理はありません。

このような学びは勿論必要なことです。それなしには、誰もが動物のような人生を送ることになってしまうからですね。ところが、誰からのどんな教育も、その根っこにはエゴの策略が潜んでいるのです。

エゴの隠された教育の目的とは、私たちをして闘い続けさせようと目論んでいるのです。闘えば、その人の人生は必ず負けることと決まっているのです。そして苦しめば、それだけエゴは生き生きとなるのです。

人生の中で、こうしたことに早く気づいて、それまで着々と培ってきた教育の中身を捨てて行くことこそが、本当の本当の学びなのです。

捨てるというと印象が強いですが、単にあなたの信念信条、考え方、ルール、正しさ、社会でどう生きるかなどをできる限り脇へ置いて、それにエネルギーを与えないようにするということです。

そして自分自身にできるだけ正直になることです。正直であるがままの自分を、それがどんな自分であろうとも丸ごと受け止め続けるのです。

そうすれば、エゴは自然と衰退していき、生そのものと一体感を持った毎日を生きることになるはずです。これ以上詰め込む人生の代わりに、今この瞬間にただ在る自分となることですね。

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