家族制度なんていらない!

家族があって、国があって、そういうものが私たちの人生の基盤となっているのは事実です。基盤だからとても大切なかけがえのないものと感じるのは当然のこと。

けれども、反感を持たれることを覚悟の上で敢えて言うのですが、私は個人的に家族という制度に疑問を持っています。その延長上にある国に対してもです。

子供が親を選んで生まれて来るという話しがあるのは知っていますが、一度そのことを脇に置いて考えてみると、現実にはあまりにも過酷で逃げようのない家庭というものがあるのです。

家族という閉ざされた空間の中で、幼い子供がどのように扱われているのか、その本当のところは決して外側からは見ることができないのです。

だから、子供がどれほどの苦しみの中にいるのかも分かってあげることもできないし、救いの手を差し伸べることも相当に難しいことになってしまうのです。

象は群れを成して生活しているそうですが、その中の一匹が小象を産むと、メスの象が集団で子育てをするそうです。そこに子育ての理想の形を見い出せると感じるのです。

そこに家族というものは存在しません。子供はどれが自分の親なのか、また親もどの象が自分の子なのかは認識しているのですが、そこに家族のような結びつきはないのです。

そもそも、結婚という制度を廃止しなければなりません。結婚は、移ろいやすい人の気持ちに対するリスク回避のシステムのようなもの。

国家という第三者が二人の関係を保証するのですから、おかしな話しではあるのです。二人の関係性はあくまでも二人だけのものであって、それが未来にどうなるのかは分かりません。

結婚は安心を得るための制度であって、それが家族という制度へと繋がっていくということを思えば、結婚とは何と野蛮な制度なんだろうと思うのです。

家族ができると、子供はそこから逃れることができなくなるのです。どんな親であれ、マインドは病んでいます。なぜなら、彼らも同じように病んだ親が作った家族の中で育てられたからです。

親は決して悪者ではありませんが、病んだ親はどうにも始末が悪いのです。家族ではなく、コミュニティの中で子供を共有すれば、子供は偏った親の影響を受けずに済むのです。

暴言と思われても仕方ないのですが、長いこと多くのクライアントさんとのセッションを通して、自然と気が付くとこんなことを感じるようになったのです。

結婚、家族、国、この制度がなくならない限り、人類が愛に溢れて生きることはできないのではないか。抑圧のない自然な生き方ができないなら、人類に未来はないのかもしれません。

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