マインドは極端が好き

私たちのマインドは、大なり小なり分裂しています。分裂した内面をマインドと呼んでいるといってもいいくらいなのです。そうした分裂が大きくなれば、極端な生き方をするようにならざるを得ません。

例えば、耽溺と禁欲は互いにペアとなる両極端ですね。ペアというのは、コインの表と裏の関係と同じであり、両方を同時に見ることはできません。

どちらか一方を続けてしまうと、マインドはバランスを取ろうとして、コインをひっくり返してしまうのです。甘いものが大好きなのにダイエットのためにそれを食べずにいれば、いつかはひっくり返されるのです。

そして、今度は甘いものを爆食いすることになるか、あるいはまったく異なる何かに耽ることで代用するかもしれません。いずれにしても、どちらも百害あって一利なしです。

男性の修行僧が性的な禁欲を続けていけば、かならず彼らが見る夢は性的なものになるのです。そうやってバランスをとるので、そうした修行は何の役にも立たないのです。

仏陀は、極端な生き方をやめて、ちょうど真ん中で生きるようにと教えたのです。それを中道と呼んだのです。耽溺も禁欲もマインド(エゴ)を強くするだけだからです。

働きすぎもダメ、怠惰なのもダメ。社会にのめり込んで、そこで活躍するのもダメ、かといって山の中で独り瞑想するばかりでもダメなのです。

社会の中にいて瞑想するということ。ちょうどいいバランス、ちょうどいい「加減」の生き方は、エゴを弱めていくことにもなるのです。

何からも逃げず、かといって戦わず、ただあるがまま、何かになろうとせず、我のままでいること。過去を悔やむでもなく、未来を憂うでもなく、ちょうど今この瞬間に在ること。それが中道という生き方なのですね。

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