瞑想が不要になるとき

ひとたびあなたが学んで、生のすべてが瞑想となったら、瞑想のことはすべて忘れてしまいなさい。生が唯一の法に、唯一の瞑想になるにまかせることだ。そうなれば、時間は消える。そして覚えておくがいい。時間が消えるとき、死もまた消える。そうなれば、あなたは死を恐れはしない。

by osho

自分がいない状態になってしまったあのとき、確かにあれはすでに瞑想を終えた後でした。瞑想が終わって静かに部屋の空間を見つめていたときだったのです。

突然自分が消えるという現象が起き、そのときに時間がないということにもはっきりと気づいていました。けれども残念ながら、このことをいくら考えても理解はできません。

なぜなら思考自体が時間をベースにしているからです。思考が落ちたときに初めて、時間からも解放されてしまうのです。

そのときに同時に死がないということまで見えていたかどうかは覚えていないのですが、それもきっと自明だったのでしょう。

はっきりと言えることですが、普段の自分の状態が本当の現実だと思っているのは間違いだということです。

現実は現実として確かにあるのですが、感覚がまったく違うのです。何と言うのか、ものすごく洗練された感覚とでも表現すればいいのか…。

普通に瞑想をしていても、このことに気付くことはできないかもしれません。私の経験からいうと、瞑想をしている自分が消えることは至難だからです。

だからといって、瞑想が無駄だということではありません。瞑想はあの状態がやってくるための間口を広げておく準備だと思えばいいのです。

瞑想が不要になるあの瞬間がまた来ないかなと、期待せずにただ淡々と待ってみようと思う今日この頃です。

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