幸不幸からの脱脚

人生には浮き沈みがつきものですね。上昇しているときにはバラ色に見えるし、下降しているときには灰色に見えるのです。

私自身も経験があるのですが、嬉しくて心が軽やかなときには本当に周りが明るく見えるのです。瞳孔が開いてより多くの光を取り込むのでしょうね。

だから明るくバラ色っぽく見えるのですが、一方で落ち込んでいるときには逆に瞳孔が閉じて光が入ってこないため、いつもより暗く灰色に見えるのです。

内面の状態が肉眼に直接影響するために、見え方が変わってしまうというわけです。このようにして知覚を変化させてしまうのは、思考なのです。

自分の身に起きたことをどのように思考で捉えるのか、それによって世界が違って見えてしまうのです。

ということは、もしも思考に飲み込まれずにいられるとしたら、人生がバラ色になったり灰色になったりすることもなくなるということです。

私たちは「身に起きることが幸不幸を作る」と決めつけているのですが、それを決めているのは単に思考だということです。

自分は惨めで不幸だという思考を使わずに要られるなら、この世界から不幸な人はいなくなるはずです。

あるいは、自分は願いが叶って幸福だという思考も使わずにいるなら、自分は幸福だと思う人もいなくなるのです。

幸不幸からの脱脚は誰にとっても原理的には可能なことなのです。これが最大の救いだと思いますね。

“幸不幸からの脱脚” への2件の返信

  1. 思考か 知覚を、作る。 のでしょうか?
      知覚が思考をつくるのではないとは わかりました、
      短いのに深いお話に 感銘を 受けました。
    感謝致します✨

  2. 一般的に、知覚=外部情報+思考による後処理 ということができます。そのため、あるがままを見るということができなくなっているとも言えますね。

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