自我を観察してあげる

私たちの内面であるマインドというものを深く理解するようになると、いろいろなことに気づくことができるようになるのです。

たとえば、誰もが「私」という自分が個人としてここにいるという自覚を持って生きているのですが、それを自我(エゴ)と呼んだりするのです。

その自我というのは、まるで自己完結した自律的に生きている存在のように感じられるかもしれませんが、実は他者との関係性の上に生きているということ。

他者がいなければ、自我は成立しないということの理解はなかなか難しいのです。実際、私自身も本当に理解したのはそれほど昔のことではありません。

「私」というのは、そのすべてが外側からやってきたものででっち上げられているということ。他者があなたの中の「私」を作ったのです。

「私」を構築している材料のすべてが外側からやってきたものなのです。そんなものがどうしてひとまとまりの人物として生きていられるのか?

その理由の1つは、自我はあらゆる体験を「私」が体験したというように解釈した上で、記憶として残してきたからなのです。

その膨大な記憶が「私」をあたかもしっかりした一人の存在として見立てることができるようにしているということです。

その証拠に、これまでのすべての体験を思い出さずにいるようにしたら、どこにも「私」などいないということが明白になってしまうのです。

「私」がいると思うから、防衛せざるを得ないのです。「私」という個人は一度もいた試しはないと気づけば、作り物でしかない自我をただ見ていてあげることができるようになるのですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です