ほんとうに真実を知りたいと思う人に求められる第一の誠実さは、”自分自身で知っているもの”と”ただ受け売りで知っているもの”をはっきり見分けることだ。そして借りものは何であれ投げ捨てるのだ!それはすべてがらくただ。他の誰かの体験に知識の上でよく通じるよりも自ら無知であるほうがよい。
by osho
聞いた話しなのですが、先日引退したイチロー選手は本をほとんど読まないとのこと。文字が嫌いなのかと思ったら違いました。
彼は、本を読むと分かったような気になってしまうのが嫌だとのことでした。本などで得た知識というのは、確かに人のもの。
それで知ったかのような気になってしまうのは誰でも同じです。知識というのは、そういう情報があるということを知っただけ。
本当に知るためには、それを体験する必要があるのです。知識というのは、この社会ではそれなりに使い道もあるのでしょうけれど、所詮はニセモノ。
だから「借りものは何であれ投げ捨てるのだ!」ということになるのです。瞑想に馴染んだ人は、自我は無知だということに気づくのです。
無知であることは決して恥ずべきことではなく、豊富な知識が財産だと思っていることの方が恥ずかしいことかもしれません。
何も知らないということは、実は物凄く気持ちのいいものです。自分が純粋無垢な状態に戻ったような気がするからかもしれません。
自分が知っていると「信じている」ことに気づくだけで、知識に対する興味が減っていくことになるでしょうね。
知識をただの知識(思考)だと見抜くことができれば、今までよりもより真実が近づくことになるのです。