「性善説」はホント?

「性善説」という言葉がありますが、それは我々人間の本性というのは基本的には善であるという教えです。

自分自身も人間の一人として、そうあったらいいなと思うのが正直なところです。けれども、そうはいかない残念な話しをします。

そもそも人間という生き物の内情を深く知ることができたら、安易に性善説など信じることができないのです。

私たちがこれが自分だと信じて疑わないでいる「自我」のことを、深く理解すればするほど、性善説から遠ざかるのです。

自我の本性は、自己防衛なのです。自我(マインド)が活動しているとき、平和であることはできません。

そこには葛藤や緊張、そして混乱が付きまとうのです。自分を守ろうとすれば、必ずや他人を犠牲にするか自己犠牲を生み出すかのどちらかになるのです。

私はそのことを「悪」とは思っていないのですが、さりとて到底「善」とも言えるようなものではないのです。

ただし、そんな私たちでも自我が一時的に活動を弱めている時があるのですが、その時にはすべてが「善」になるのも事実なのです。

善というよりも、自然でゆったりしていて自由な状態なのです。自我の防衛がなくなった無防備な状態になるのです。

世の中の問題のすべては、自我からやってくるということを肝に命じて忘れないことですね。