本質は自我ではないという証拠

個人として生きている限りは、自分のことを自我だと思い込んでいるということです。そして自我の本性は、自分の存在を証明しようとすること。

そのためには、自分を防衛しなければならないのです。自分とは特別な存在だということを他のみんなに認めさせたいという欲求を持っているのです。

ところがその一方では、誰かの「自我とはかけ離れた姿」を見ると、なんとも不思議なことに胸が熱くなり深く感動することになるのです。

そして自分が求めていたものは、あれだと気づくことになるのです。自分もその人のように他人のために生きるような人生にしたいと思うのです。

愛に満ちたその人の言動が嬉しくて、この感覚は一体どこからくるのだろうと思うのですが、そんな気持ちもすぐに何処かへ吹っ飛んで、またいつもの防衛三昧の毎日が続くのです。

こうした自分の内面の二面性に気づいていない人はいないはずですが、ことさらそのことに疑問を感じて、その原因を究明しようとはしないのです。

二面性の原因はとてもシンプルです。それは、私たちの本性は自我ではないということ。自我と同一化しているために、愛の状態で生きることが阻害されているのです。

だから私たちは、自分の本性、本質にあこがれて、そこに戻りたいと願っているということです。それなら安心して下さい。

私たちは一度も自我になってしまったことはありませんし、自我という実体もないのです。それはただの妄想であって、私たちの本質はそのままなのですから。