自我は不自然なもの

この世界はその隅々までが自然の法則で成り立っていると言えますね。鉱物も植物も動物も例外なく自然の一部なのです。

もちろん私たち人間もその一部には違いないのですが、自我だけは例外中の例外となってしまっています。

自然と調和して生きることができたら素晴らしいだろうことは誰でも理解できるのですが、残念ながら私たち人間にとって自然体で生きることほど難しいことはありません。

それはなぜなのでしょうか?人間は自分のことを自我だと思い込んでしまっているため、自我の世界しか知らないのです。

自我ほど不自然なものはありません。なぜならこの自然界には個人などという存在はあるはずもないのに、それを堂々と主張しているからです。

自分だけはこの自然界にあって特別な存在だと思っているのです。それが自我の正体なので、もしも自我が自然の中に溶け込んでいったなら、それこそ自我の死を意味するのです。

自我は死にたくないので、自然体にはなれないということです。面白いですね、自然は素晴らしいと知っているのに、自分は自然の一部とは思っていないなんて。

私たちは不自然な存在になってしまっているということを、今一度認識し直してみる必要がありますね。

もしもあなたが自分の本質は自我ではないと見抜くことができたら、個人という妄想から抜けてただ自然の一部としての生を生きるようになるのでしょうね。

“自我は不自然なもの” への2件の返信

  1. 昨日の14時頃、田園風景の中を自転車で走っていて何となくそんなことを思いました。
    ジリジリと照りつける太陽、生ぬるい風、ぼうぼうに伸びた雑草…
    とても快適とは言い難い状況下でなんで自転車であてもなく出かけたのか分かりませんが、身体が夏の日差しを浴びたくなったというのが一番近い理由ですね。
    熱気の中で大量の汗をかくことで濡れたTシャツが風を受けると何となくひんやりとして気持ちよかったのですわ
    うまいのこと身体を冷やしながら自転車を漕いでるこの肉体が一番身近な自然だなぁなんて思った時に、同時に自我というのは不自然で身近でないなと。
    思惑や解釈を我が事としてしまうから距離ゼロというくらい身近だと錯覚をしてますが…
    それが無ければそれこそ理由は分からないけどなんだかやりたい事を迷わずやるし、不快さやトラブルに見舞われたらそれはそれとして、その時々で対応する自然体になるんだろなと思いました。
    それも汗をかくことで生ぬるい風がひんやりとしたものになるように、自然に解決がもたらされるのかもしれませんね。
    不安を避けようとしたり、自己保身や損得勘定などで行動を決定するのは不自然なのだなーと

    1. 本当にそうですね。生物としての防衛は自然なのですが、心理的防衛となると不自然極まりないのですね。

      芸術家であれば、いい作品を創ろうとするのは不自然だけれど、ただ筆が動いてしまうのは自然なんでしょうね。

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