自我はトンチンカン

人間とは欲深いもので、願いが叶わなければ否定的な気持ちになるし、願いが叶ったところで嬉しいのは一瞬であり、泡のようにその気持ちは消えていってしまうのです。

そしてすぐにでも次の願いが叶うようにと目先を変えて頑張りだすのです。そして心のどこかで、次はそんなことはないはずと思いたいのです。

これが実現した暁には、もうそれ以上を求めるようなことはないだろうと思っているのですが、残念ながらそれも束の間、すぐにまた飽くなき挑戦を始めるのです。

結果として自我が満たされるということはないのです。この繰り返しのうちに、人生という時間が尽き果てていくわけです。

私たちが求めているものとは、永久不変の満足感なのです。それをこの現象界で追い求めていること自体がトンチンカンなことだと気づくことですね。

要するに不可能に挑戦し続けている愚かな行為だと分かればいいのです。ではどうすればいいかと言えば、私たちの本質に気づくことしかないのです。

自我として、悲喜こもごもの人生をまだまだやりたい人はそれもよし、けれどももうそろそろ飽きてきたという人は、自分とはなんなのか、どこにいるのかを検証することです。

そして自分の本性がこの世界のどこにもいない、あるいは全てだということに気づくなら、全く違った人生の風情がやってくることになるでしょうね。