自我の二重の思い違い

私たちの一般常識として、何かを体験するということはそこに当事者としての体験者がいると思っているのです。

体験者がいて、そこに○○な体験があったと考えるわけです。けれども、体験というのはただそこにそれがあるだけで、体験者を必要とはしないのです。

説明が下手くそなので分かりにくいとは思うのですが、自我の一つ目の思い違いは、体験には体験者がつきものだというものです。

もしも体験者が不在であったら体験は起きないというのでしたら、osho のような覚醒して自我が消滅している場合にはどんな体験もないということになってしまいます。

そんなことはないのです。刻々とやってくる体験をずっと眺めているはずです。他人の目には体験しているosho がいるように映るのでしょうけれど。

そして自我の二つ目の思い違いとは、似たような体験を繰り返すことで、体験そのものを自分自身と同化してしまうということです。

たとえば、何度も繰り返し裏切られた体験をすると、「裏切られること=私」のような同化を作り上げてしまうのです。

そうなると、表面ではもう2度と裏切られたくないと思うのですが、裏切られることは自分の存続に繋がるために、やっぱり裏切られることになるのです。

これが人生のパターンを作り上げる結果となるのです。ここから脱出するためには、この自我の思い違いについての深い理解が必要となるのですね。