真実は共有できない

日本は民主主義国家なので、何かを決める時には基本的には多数決という手段を取ることになっていますね。

その結果が後々正しかったのかどうかは別として、多数決によって決めることで公平な感じがするのです。それはとても大切なことです。

けれども、多数決はあくまでも手段であって、最良の結果を導き出すものとは限らないということは知っておくべきです。

だからこそ、リーダーの存在が必要となるのです。リーダーの役割というのは、多数決の結果を独断で覆すことのできるくらいの圧倒的な牽引力です。

誰もがAを選んだとしても、時にはリーダーがBを選ぶことで、全体をBの方に導くことのできる力が必要な時があるということです。

だからリーダーは孤独なのです。助言を聞くことはあっても最後の最後の決断は自分独りでしなければならないからです。

真実も似たようなところがあります。真実を多数決で決めることなど勿論できないですし、誰かと共有することもできないのです。

たった孤りで真実を探究すること以外の方法がないのです。真実は完全に個人的なことだからです。

そして皮肉なことに、真実に到達した時にはその個人が完全に消滅してしまうことになるのですね。

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