嫌いから敵への変化に気づく

私たちはそれぞれに自分の好みというものを持っていますね。あれは好きだけど、あれは好みじゃないなという具合に。

他人に対しても、好きだなと感じる人もいれば、ちょっと苦手だなとか、もしかしたら嫌いな範疇かもしれないと感じる人もいます。

こうしたことは覚醒でもしない限りは、ごく普通の感覚だと思います。みんなの好みが一致してしまったら、とても生きづらい人生になってしまうはずです。

ところで、嫌いな人がいたとしてもあまり関わらないようにすればいいのですが、その人を敵対視し始めると面倒なことになってくるのです。

一度「敵」としてレッテルを貼ってしまうと、私たちはその人をロックオンしてしまい、嫌いな奴だと思いながらも無関心ではいられなくなるのです。

逆にその敵を何とかして落とし入れようとしてみたり、戦って負かそうとしてみたり、結局その人に多大なエネルギーを注ぐことになるのです。

敵というのは戦う相手なので、そうなっても当然なわけですね。そして悪いことに相手を負かすと快感を感じたりするので、やめられなくなるのです。

たんに好きじゃないという状態から「敵」というレッテルを貼るようになるまでには、それ相当な被害を被ったはずなのです。

繰り返し嫌なことをされてそれを我慢していたりすると、相手の中に悪意があるように感じるようにもなるのです。そうなったら、もう敵対視するはず。

そのようにして敵対視するクセが定着してしまうと、ちょっと嫌いと思っただけで敵のレッテル貼りをするようにもなるでしょうね。

そうやって人生の中で敵がウヨウヨいるようになってしまうのです。そうなったら、いつも嫌な思いばかりさせられる人生がやってきます。

それがいわゆる戦いの人生ですね。好き嫌いは問題ないのです。敵味方という決めつけをしないように注意深く生きることです。

敵がいなくなったら、文字通り無敵の人生が待っています。