思考の作戦に乗らない

私たちは、通常何か困ったことだとか、問題が起きるとそれを解決しようと努める習性があります。

あるいは、何か疑問があればそれに対する回答を求める習性もあります。どちらもきっと自我の特徴なのでしょう。

その習性に疑問を抱いたことはありませんか?なぜ問題は解決しなければと感じ、なぜ疑問には回答しようと思ってしまうのか?

これが思考のあり方なのかなと思うのです。思考というのは、いつも解決志向であり、回答を導き出したくてウズウズしているのです。

けれども、一歩引いてこのことをじっくり見つめていると、それだけが私たちの在り方ではないと気づくのです。

そもそも問題があるという認識自体が思考によるものなのです。思考が問題を生み出しておいて、それを解決しようという自作自演をしているのです。

思考が疑問を作り出しておいて、それに対する回答を導き出すのもやはり思考のやることでしかありません。

このようにして、思考は自己完結するように自前で生き延びる作戦を生み出しているということです。

私たちは、そもそも思考ではないのでその思考の作戦に乗る必要はないわけです。そこに気づくだけでも、生きる感覚に変化を感じることができますね。

“思考の作戦に乗らない” への2件の返信

  1. 自分が思考ではない、ということが、言葉でなく、感覚にちゃんと入って来ました。物心ついてから、今の今までかかりました。
    言葉って、わかったような気にさせますね。
    「私たちはそもそも思考ではない」と、かみしめています。
    ヘレン・ケラーの「ウォーター!」みたいな瞬間の激しさはないけど、開けた感じは似ているかもしれません。

  2. それこそが「気づく」ということですね。言葉(思考)ではなくて、それがそれとしてスッと入ってくることができたということです。
    良かったですね!

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