昨日のブログでは、見られる側(思考)から見守る側(意識)へとシフトすることの大切さについて書きました。
なぜそれが大切なのかというと、見られる側(思考)としての自分はただの幻想であり、本当の自分は見守る側(意識)だからです。
そのことに気づかずに一生を終えていくのは、さすがにもったいないと思うわけです。見られる側(思考)は目的志向であり、そこからあらゆる苦悩が生まれるのです。
なぜなら、目的地が設定されてしまうと、そこに到達できない恐怖がやってくるし、目的地を目指さない罪人も生まれるのです。
ところが生にはどんな目的地もありません。生そのものが目的地なので、誰も失敗することもないのです。
私たちの本質である見守る側(意識)が目的志向ではないのは明らかですので、生の本質とも合致しているわけです。
目的志向は時間を必要とし、過去と未来という仮想空間へと動き出すことになって、実在する生から離れてしまうということにも気づくこと。
一方の見守る側(意識)としての私たちは、時間の中にはいません。ただ今この瞬間という生と共にあるのですね。