私たちは本能的にも心理的にも、都合の悪いものからは目を背けてしまい、できるだけ離れていようとする習性を持っています。
その都合の悪いものには、それこそありとあらゆる辛いもの、不愉快なもの、不快なもの、苦しいもの、痛み等々があるのです。
例えば、自分が惨めだと思うならその惨めさはとても心理的な痛みを伴うものなので、それを見ないようにするのです。
無意識の領域へと抑圧したり、怒りという感情によって隠してしまうこともします。さらにはその怒りでさえ感じないようにするかもしれません。
嫌われて見捨てられたら生きて行けないという恐怖がやってくるので、それを隠すために奴隷のように生きる人もいます。
辛い記憶を忘れようとしてお酒に溺れたり、トラウマから逃げるために年中無意識的にゲームをやり続けたり等々。
誰もが薄々気づいていることなのですが、目を背けている限りはそこから脱出することはできないのです。
唯一の解決方法は、その都合の悪いことから目を背けずに対面すること。もっとシンプルに言えば、それを見ることです。
実は見ることは問題自体を解決してくれるわけではないのですが、見ることで都合の悪いことから距離ができるのです。
勇気を持って見てしまえば、それが自分とは隔たっているということに気づくのです。解決する必要すらなかったと理解することになるわけですね。