「木を見て森を見ず」という言葉がありますね。小さい事に心を奪われて、全体を見通さないことの例えです。
私たちが持って生まれた右脳的な見方というのは、常に全体的な視野で物事を捉えるのです。全ては一つとして繋がっているという感覚ですね。
つまりは、俯瞰的に森を見ることに通じるのですが、一方の後天的に発達させた左脳的な見方というのが、物事を分離させて詳細を調べる、要するに近視眼的に木を見るわけです。
左脳が物事を分離して見ることを始めるにあたり、一番最初に必要なのは分離した存在としての自分を確立することですね。
そしてその後、他人の存在をも確立させるのです。この自他をベースに、自我が作られていくわけです。
ということは、自我というのは左脳の中で形作られたイメージということになりそうですね。だから、左脳が停止した瞬間に、自我も消えてしまうのです。
それが深い瞑想で起きていることです。瞑想中に、宇宙との一体感を感じたり、全体性を強く感じられるのは、左脳による分離感が消失してしまうからなのです。
右脳には、自分の身体の形も分からないし、自分と外側との境界もありません。そもそも個としての自分もいないのです。
右脳が感じている世界というのは、私たち(左脳)が認知している外側の世界ではなく、内側の世界なのです。この表現も実は左脳的な発想でしかありません。本当は、内も外もないのですから。