これまで生きてきて、ゆったりと自然でのんびりしている人というのをあまり見たことがありません。どちらかというと、その反対に闘っている人、頑張って何かを達成しようとしている人の方が圧倒的に多いのです。
それがなぜかというと、その方が自我にとって都合がいいからです。こうなったらいいのに、こういう現実がやってきてくれたらいいな。
自分はこうなりたい等々、こうした希望をずっと持ち続けているのですが、この希望がある限り自我は安泰なのです。
あるいは、恐怖や不安から逃れて安心しようとする自己防衛、どんな方法であれ防衛をすることで自我は盤石になるのです。
とにかく、周りを見回してみると自我にとって都合のいいことばかりが転がっているのが分かります。
なぜそんなことになってしまったのかと言えば、この人間社会そのものを作ったのが自我だからですね。
自我は自分に都合のいいようにこの世界を構築してきたわけです。だから、防衛と希望の毎日を我々は生かされているわけです。
自我の世界は面白いこと、興奮すること、嬉しいこと、達成感、こう言ったものがたくさんあって明らかに魅了されてしまうのですが、その一方で常に満たされないという思いがついて回るのです。
自我優位の世界を存分に生きた上で、今度はより自然体な毎日を標榜しようとする人がいても良いわけです。
それは誰に急かされるでもなく、ある時突然やってくるのです。その時には、これまでとは全く異なる生き方を選んでみるのもありですね。