仮想世界で必死に生きている?

昨日のブログでは、私たちが暮らしているこの現実世界というのは、実在するものよりも仮想的なものの方が圧倒的に多いという話をしました。

しかも、仮想的な物ほど、自分にとっては大切であり、執着もしてしまうということでした。そのことについての補足をしたいと思います。

仮想的なものとは、価値や目的、意味や善悪など、人間だけが理解している大事なものばかり。そればかりか、例えば「リンゴ」というのは、一つの概念です。

実在するということは具体的であり、あのリンゴやこのリンゴという場合に限りますが、ただリンゴと言った場合には抽象的なものになり、それは当然実在しません。

よくよく考えてみると、実在するものと触れ合い、一緒に生活していると思い込んでいるだけで、ほとんどは頭の中の世界で暮らしているのです。

それは仮想世界なのですね。今この瞬間に目の前にあるものは実在するものですが、それ以外のあらゆるものは仮想的なものなのです。

あなたが今日会った友達のことを考えているなら、その友達は仮想世界の存在であって実在しません。これってすごいことですよね。

頭の中であれこれ考えているもの全てが仮想世界のモノです。なぜこれほどまでに実在しない仮想世界の中で生きているのでしょうか?

それはきっと自分自身が実在しないものだからではないかと。仮想的なものに囲まれて親和性があるのは、その中心となっている自分も仮想的なものだからなのですね。

冷静に見つめてみるとわかるのですが、自分が実在しているということを証明することができないのです。残念ですが。

結局自分の肉体だけが実在するものであり、それ以外の自分にまつわるあらゆるものは仮想的なものでしかないということです。

そういう意味では、私たちが現実だと思っているものって、夢のようなものだと言えるかも知れませんね。